和魂凡才 榎本武揚没後100年関係
和魂洋才の人・榎本武揚を主に、幕末関係の話や本の紹介をする凡才人のブログです
すみません、最近すっかりサボリモードになっています。

他力本願でございます~。
「三丁目生まれの日記」(旧ブログ名「榎本武揚─考える楽しみ─」)さんで知りました。

昨年12月に、東京農大オホーツクキャンパスで開催された榎本さん関係のシンポジウム「2008年度 第2回オホーツク実学市民公開講座」の報告がアップされています。

こちら → 東京農業大学「オホーツク学への招待」

【2009/03/09 23:46】 | 榎本武揚没後100年関係
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M子
昨年12月の「オホーツク学への招待」、早速見させていただきました。すごいメンバーですね。やはり行くんだった!
昨年12月には東京へ行く予定もあったので網走を諦めたのですが、来月また東京へ行けることになったので、それなら昨年12月には網走へ行くんだった。後悔しています。
それに4月に東京へ行くから、また函館の五稜郭祭は先送り。北海道にいながら一度も行った事がなくて、ファン失格です。


香音里
北海道は広いから、同じ道内に住んでいるといってもなかなか行けませんよね。
私も今年も五稜郭祭は多分行けません。
5月の長~い連休いらないから、五稜郭祭の頃休み欲しいです(泣)

それにしても網走は遠すぎます。。。

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今年6月、小樽文学館での展示を皮切りに始まった「榎本武揚没後100年記念事業」ですが、先日18日、北方民族博物館での展示の終了を最後に、すべて終了との事です。

思えば、小樽その他で榎本さん祭りが開催されると知ったのは昨年9月。実際参加できたのはわずかでしたが、旅行計画やなんやで1年以上楽しませていただきました。
展示や講演を通して、今まで榎本さんの事をよく知らなかった人たちにも、彼の功績を知ってもらい、興味を持って貰えた事と思います。今後再評価につながっていけばなぁと思います。
実はまだ龍宮神社の榎本像建立が残っているのですが、それはまた来年のお楽しみということで。

各地の行事に参加され、講演会の講師を務められたご子孫の榎本隆充さんをはじめ、関係者の皆様、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。


【2008/12/19 23:59】 | 榎本武揚没後100年関係
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高松飛鳥
香音里さま、記事をずっと紹介してくださってありがとうございました!

一年間、お疲れさまでした!


香音里
高松さま、こんばんは。
私はただ情報をかき集めて載せていただけで、たいした事はしていませんが、少しでもお役にたてたのでしたら嬉しいです。

高松さまこそ実行委員会のお役目、お疲れ様でした。特にあこがれの航海では大活躍でしたね。
おかげで1年間楽しませてもらいました。
来年は函館開港150周年で、函館はまた盛り上がりそうですね♪

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先日ちょこっと書いた東京農大オホーツクキャンパスでの、榎本さん関係の講演の詳細が判りました。

『2008 年度 第2回オホーツク実学市民公開講座(シンポジウム)・「現代GP」フォーラム オホーツク地域の再生と「オホーツク学」の展望-いま、産学行連携に何が求められているか-』
というタイトルでシンポジウム自体は2日間開催されるのですが、榎本さん関係のシンポジウムは1日目。

○ 第1日目 ○ 第2回 オホーツク実学市民公開講座(シンポジウム)

 日時: 2008年 12月 12日(金)(12:20 受付開始)
      
     13:00~ 開会式
     13:10~ 基調講演 「 榎本武揚からみた世界史とオホーツク海圏」
              講師 臼井 隆一郎(東京大学教授)
     14:10~パネルディスカッション
          問題提起  黒瀧 秀久(東京農業大学 オホーツク実学センター長)
                 中原 章博(網走商工会議所 会頭)
                 高橋 修平(北見工業大学 地域共同研究センター長)
                 重本 直利(龍谷大学 経営学部教授)
          コメンテーター  榎本 隆充(東京農業大学 客員教授)
          コーディネーター  田中 俊次(東京農業大学 産業経営学科長)
                     小松 善雄(東京農業大学 産業経営学科教授)
      17:00~ 閉会
           交流会
 
  場所: 東京農業大学オホーツクキャンパス 大講義室

  参加無料

  詳細はこちら


そして、今回のポスターはこちら!→ 

前回のポスターと同じ写真ですね。

それにしても、網走は遠すぎます(泣)



 

【2008/12/01 21:17】 | 榎本武揚没後100年関係
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NoTitle
M子
行きたい!
臼井隆一郎先生の『榎本武揚から世界史が見える』 読み応えがありました。
ぜひ直接お話をお聞きしてみたいです。
行きたい。残念。ああ・・・ 1ヶ月に2回はちょっとねぇ。東京行き、やめようか。
それにしても網走は東京より遠いです。



高松飛鳥
このセミナーの事は知っていたのですが・・・
網走は遠すぎて(涙)

確かに、東京より遠いです。

この前の江差が限界かも(時期的には江差もやばいです、事故りそうで)。

>M子様
香音里
飛行機でひとっ飛びしたら、後は交通の便がいい東京に比べると、同じ北海道でも網走は確かに遠いのでしょうね。
『榎本武揚から世界史が見える』…「次こそ読もうリスト」にはずっと入っているのですが、もう長い間積読状態です(^^;

東京行き、もうすぐですね。どこを回られるのですかー?



>高松飛鳥様
香音里
網走も遠いですが、大阪から函館への直行便が減って、函館までも遠いです~。
実は東京旅行を計画する前に、密かに函館行きを考えていたのですが、3連休ではない土・日なのに飛行機がまったく取れませんでした。
来年の春は行けるかなぁ…。

車の運転、くれぐれもお気をつけくださいね。

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もう1つ、書くのを忘れていました!

10月に東京農大・オホーツクキャンパスで開催された、没後100年記念のシンポジウムの様子が、こちらで見ることができます

 東京農業大學 オホーツク学への招待

【2008/11/29 14:33】 | 榎本武揚没後100年関係
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榎本さん関係の情報を3つほど。

【その1】
榎本さんがしたためたと見られる横書きの書(欄間額)が、栗原市志波姫で開かれた「第15回旧家所蔵品鑑賞会」で初公開されたそうです。

右から左に「浅粉軽砂養」の勇ましい筆致の五文字に「武揚」の署名。紙幅は縦20センチ横70センチほど。書いた年次は不明。所蔵者は同市の姉歯幸男さん(73)で、戊辰戦争当時、新政府軍の参謀だった世良修蔵を殺害した1人とされる仙台藩軍監だった姉歯武之進の子孫。                        (毎日新聞宮城版より)



「佐沼古文書の会」(登米市)の佐藤清一会長さん(81)は、「身を粉にし、砂のように軽やかに、世に役立つ身を養う」との大意ではないかと見立てているとのこと。
本当はどういう意味なのでしょうね。


【その2】
東京農業大学生物産業学部開設20周年・榎本武揚没後100周年記念事業
「榎本武揚展」
 会期 平成20年12月6日(土)から12月18日(木)
 会場 北方民族博物館特別展示室
 主催 東京農業大学生物産業学部・北海道立北方民族博物館
 共催 東京農業大学教育後援会

 観覧料 無料
 
<開催趣旨・内容>
  榎本武揚は幕府海軍副総裁として蝦夷地の独立をもくろみ、明治新政府軍との箱館戦争で敗れたにもかかわらず、その後は、新政府の要職を歴任した稀有な経歴をもちます。
その間、北海道開拓や北方圏地域の開発に強い関心を寄せ、明治24年に東京農業大学の前身にあたる徳川育英会育英農業科を創設しました。その後、榎本のフロンティア精神を引き継ぐものとして東京農業大学オホーツクキャンパスが開設されることとなります。
本展示は榎本没後百年および東京農業大学生物産業学部開設20周年を迎えるにあたり、榎本武揚の業績を再評価し、その精神の実現を展望しようとするものです。

*12月6日(土)9時30分よりテープカット有り。

<問い合わせ>
北海道立北方民族博物館 (〒093-0042 北海道網走市字潮見309-1)
   電話 0152-45-3888
   http://hoppohm.org/

この展示に関連してかどうか詳細は解りませんが、東京農大オホーツクキャンパスで12月12日に、榎本武揚に関する講演があるようです。


【その3】
北海道立図書館で展示
「榎本武揚 幕末・明治を駆け抜けた男~没後100周年を記念して~ 」
 開催中~12月25日(木)まで

<追記>
北海道立図書館での展示の内容は、こちら


榎本さんといえば「お江戸」より「北海道」なのでしょうか。
今年の榎本さん没後100年に関しての北海道の盛り上がりと言ったら、すごいですねっ!
その没後100年目の年も、あと1か月ほどで終わりです。
結局、お江戸はあれだけだったんですね。。。






【2008/11/29 00:05】 | 榎本武揚没後100年関係
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NoTitle
M子
おはようございます。情報ありがとうございます。
網走      行きたいけど、遠すぎる・・・。
道立図書館  しばらくご無沙汰していて知りませんでした。早速出かけます。

東京は晴れてよかったですね。レポ、楽しんでいます。
私は12月に行きます。でも大河ドラマに失望し、篤姫の駕籠などどうでもよくなっちゃった。それなら別に12月じゃなくても・・・。日没との戦いはもっときびしい。

NoTitle
香音里
M子さん、こんにちは。
追記に書きましたが、道立図書館の展示の内容がこちらで解ります。
近所にあったら、入り浸ってしまいそうです(笑)

本当にこの時期の日没は早くって、4時くらいまでは明るいのですが、その後ストンと日が落ちてしまって焦りました。
時期的に花も少ないですし、かといって紅葉もまだまだって感じで…次はぜひ桜の季節に墨堤を歩いてみたいです。

NoTitle
はな。
「榎本武揚展」
なぜ東京のキャンパスでやらないのでしょうね(涙)。
江戸っ子なんですけどね、釜さんっっ。
(このぼやきを今年何度すればよいことか)

とても網走なんて、遠すぎる~~~(笑)。





NoTitle
香音里
本当に、どうして東京のキャンパスではやらないのでしょうね。
江戸っ子に人気があったはずなのにィ~。
それにしても、北海道でこんなに愛されている(?)とは、思いませんでした。
函館でももうちょっと人気が出ればなぁ~、と思いますが(^^;



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6月に小樽でのイベントを皮切りに始まった「榎本武揚没後100年記念事業」ですが、いよいよ最終の地・網走の東京農大オホーツクキャンパスでシンポジウム「実学創造の原点」が開催されます。
展示が10月11・12・13日の3日間と、12日にはパネルディスカッションがあります。
詳細はこちら → 東京農業大学ニュース

そしてポスターはこちら → 

北海道の広大な大地をバックに、礼装です~。
北海道の開拓を夢見た「ろまんち」榎本さんに、「あなたの夢を受け継いだ若者たちが、北の大地で頑張っていますよ」とぜひ教えてあげたい!


最近、行けない講演会や展示ばっかり紹介して、たまに虚しくなる時があるんですが…。
いえ、いえ、没後100年が終わっても頑張りマス。

【2008/10/05 03:38】 | 榎本武揚没後100年関係
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M子
12日、網走に行ってきますよ~。
武蔵野大学も行きたいけど、あきらめます。
榎本さんの夢を受け継いだ、北の大地で頑張っている若者の姿、
しっかり見てきます。



香音里
M子さん、やっぱり網走も行かれるのですね。
「記念講演」ではなく、講談師の方の「記念公演」というのが、なんだか気になります。聴いてみた―い。
ぜひまた、感想を教えてくださいませ♪

私も…。
高松飛鳥
流石に網走は遠くていけないです(泣)

レポート、私も聞きたいです。


まきこ
香音里さん、初めまして。
いつも榎本さんの情報を載せてくださり、ありがとうございます。

道内に住んでいる身でも、なかなか行けません。
(特に、9/6の「蘇る 榎本武揚の世界」に行けなかったのは残念無念でした…)
これからも、楽しみに読ませていただきますね。


香音里
>高松飛鳥さん

網走、遠いですよね~。
特に本州に住んでいる私にしたら、網走は「北の果て」(ごめんなさいっ!)って感じがします。
これはぜひM子さんのレポをお待ちしたいですね。




香音里
>まきこさん

初めまして。拙ブログへお越しいただき、ありがとうございます。
時々ブログを拝見しておりました。

北海道は本当に広いですね。先日北海道の旅行計画を立てた時、思いのほか時間がかかることに驚きました。
本州の人間はついつい「同じ北海道なのに」とか思ってしまいますが、函館からだと網走はまるっきり端と端ですものね。
大阪からだと東京を通り越して東北地方の手前まで行っちゃうくらいの距離でしょうか。

かなり偏ったブログですが、どうぞお気軽に遊びに来て下さいませ。







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直近の情報ですが…

今日の11:00~12:00に、こちらの「北海道歴史探訪」で先日の札幌の講演会「蘇る 榎本武揚の世界」の様子と、黒田清揚氏と榎本隆充氏へのインタビューの様子が見られるようです。


【追記】
聞きました♪
えーーーっと(^^;インタビューでお話しになられていたのは、ほとんどが黒田清揚さんでした。
黒田家と榎本家の関係(榎本隆充氏とはいとこ)と、後は黒田清隆のお話でした。
札幌での講演ということもあって、黒田が北海道の開拓に心血を注いだこと主に話されていました。
「蘇る 黒田清隆の世界」って感じ。
最後に「榎本武揚が生き残ったのは黒田清隆のおかげ、黒田がいなければ、貴方もいなかったんだから、そのことあちこちで言わなきゃだめだよ」と冗談で隆充さんにおっしゃってました。「(榎本さんが生き残らなければ)私もいなかったかも知れないけど、黒田家は残った」ともおっしゃっていましたが・・・。
でもさ、榎本さんの命を救ったのは黒田かもしれないけど、後の黒田家を救ったのは榎本さんもしくは榎本家だと思うのであります。はい。



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【2008/09/13 01:21】 | 榎本武揚没後100年関係
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はな。
香音里さん、こんばんは!

>後の黒田家を救ったのは榎本さんもしくは榎本家だと思うのであります。
まさにそのとおりだと思います☆
榎本が黒田をどんだけサポートしてあげたか(笑)。←えらそうだけど

しかも榎本たちが生き延びたのは、黒田だけのおかげでもないし(爆)、
いろいろな人たちの陰日向となっての運動の賜物デス♪



香音里
はな。さん、こんばんは♪

>榎本が黒田をどんだけサポートしてあげたか(笑)。←えらそうだけど
すみません、「えらそうだけど」に笑ってしまいました(^▽^)
特に西郷、大久保が亡くなった後、黒田の理解者って榎本さんぐらいだったのでは…(ドリーム見過ぎ?)
娘さんも安心して嫁がせられたでしょうし。

>いろいろな人たちの陰日向となっての運動の賜物デス♪
えぇ、そうですね。例の1万円札の中の人もその一人なんですよね~(爆)

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小樽旅行 197ミーハーな私は、時間があまりないというのに元町界隈の普通の観光名所もぶらぶらしたのでした。
だって、せっかく函館に来たんだしー。古い建物とか好きだしー。

十字街の電停を降りたところに「北海道坂本龍馬記念館 開設準備中」と書いた紙が貼ってある建物がありました。そういえば、だいぶ前にそういう計画があるってネットで見た覚えがあります。
うーん、函館に龍馬かぁ。ちょっと佐幕派の人にケンカを売ってるような気がしないでもないですが…。龍馬が蝦夷地の開拓を目指していたからって事らしいのですが、蝦夷地開拓なら先に黒田と榎本さんでしょうに…。
建設場所はここではないようですが、2010年のオープンを目指しているそうです。2010年といえば、龍馬が主人公の大河ドラマが放送される年ではないですか。盛り上がる…か?

時間はまだ午前8時。
どこも開いていないので、とりあえず、建物を外から見るだけですが、Let's Go!
小樽旅行 198旧函館市末広町分庁舎

大正12年に建てられた旧丸井今井百貨店の建物を、函館市が買い取って4.5階部分を増築したのですが、今また改築されて3階建てになったそうです。
現在は函館市地域交流まちづくりセンター



小樽旅行 199
二十間坂

函館は坂の多い街ですね。





小樽旅行 232


小樽旅行 200
日本基督教団函館教会と渡邊家住宅


小樽旅行 201小樽旅行 204
カトリック元町教会と、道をはさんで東本願寺函館別院が…すごく対照的な風景。
東本願寺函館別院は日本初のコンクリート造りの寺院だそうです。
江戸時代から何度も大火にあってきたので、燃えない寺を造ったのだとか。

小樽旅行 207
チャチャ登り

「チャチャ」というのはアイヌ語で「おじいさん」という意味だそうです。
坂が腰を曲げて登らなければならないほどの急勾配だからだとか。






小樽旅行 208


小樽旅行 210
聖ヨハネ教会と函館ハリストス正教会
このあたりの教会などの建物は、大正~昭和の初めにかけて建てられたものが多いそうですが、聖ヨハネ教会は昭和54年改築だそうで、他の教会とちょっと違った建築です。

その2に続く…




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【2008/08/27 23:59】 | 榎本武揚没後100年関係
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そういや、こんな記事を目にしていたのに、書くの忘れてました。

榎本武揚没後100年記念~タイムカプセルと100年記念碑の親子制作会~

榎本武揚の没後100年を記念したイベント。午前中はタイムカプセルづくり。子供は「未来の私へのメッセージ」を書き、親の持参した「残したい小樽の風景写真」や「家族の写真」とともに封入。武揚創建の龍宮神社に奉納する。
カプセルは18年後の2026年、同神社の150周年記念例大祭で開封し、参加者に手紙や写真を返す。
午後は100年記念碑づくり。親子で色を塗ったれんがを並べて、武揚と小樽のゆかりにちなんだ“れんが絵”を共同制作し、博物館敷地内に設置する予定。雨天の場合、没後100年記念メダルやTシャツの制作体験に変更する。



8月31日開催で、小樽市内在住の小中学生とその親が対象とのことです。
申込みは…8月15日までですでに終わっています。ゴメンナサイ(^^;
詳細はこちらをどうぞ → 北海道新聞webサイト

榎本さんと小樽にちなんだ「れんが絵の記念碑」ですって。
でも、雨だったら作らないんだ(笑)
これは絶対に私が現地に行くわけにはいきません!(行けないけど)
いや~、本当に小樽は榎本さんの聖地ですね。
龍宮神社の150周年記念例大祭には、また榎本さん祭りがありそうな予感…って18年後じゃないですか!それまで待てませんよ~っ!

【2008/08/26 03:05】 | 榎本武揚没後100年関係
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6月24日
小樽で3日間お天気が良かったので、「脱・雨女宣言」をしたのも束の間、函館は朝から雨でした…○| ̄|_
降水確率95%…ここまで来ると、もう雨乞いの巫女さんにでもなれるんじゃないかと思うほどです。

函館は10年ほど前に3泊4日で函館・大沼・札幌・小樽・美瑛というハードなツアーで来ました。その時は幕末にまったく興味がなかったし、観光コースも決まっていたので、箱館戦争関係の史跡は五稜郭さえも見ていないんです。函館山のお土産売り場でやたら土方さんグッズばかり売っていたのは覚えています。
当初、2泊3日で小樽だけをゆっくり回るつもりだったのですが、老親を抱える身なのでこの機会を逃すと当分蝦夷地にも来れないかも…と思ったので、1泊増やして少しだけでも函館に来たかったのでした。

高速はこだて号の函館駅前到着はAM5時10分。1年で1番日が長い時期でしたので、すっかり明るくなっていました。14時頃には空港に着かねばならないので、函館での滞在時間は実質8時間ほど。今回も駆け足です。
まずは駅のトイレで身だしなみを整え、ロッカーに荷物を預けました。
予定は 土方歳三最期の地~碧血碑~元町~称名寺・高龍寺~五稜郭です。
小樽旅行 174  小樽旅行 176

市電がまだ動いていないので、徒歩で行ける「土方歳三最期の地」に行きました。
函館市内には「土方さん最期の地」と伝えられている場所が3か所ありますが、そのうちの一つ一本木関門です。もともと碑は別の場所にあったそうなのですが、ここに移されたそうです。
公園の一角に碑があります。時間が早く、雨のせいか辺りは人っ子一人いなくて、静寂の中碑の前で手を合わせてきました。

さて、市電の1日乗車券を購入し、一旦函館駅まで戻りました。最初、朝市で朝食を食べるつもりだったのですが、ちょっと道を間違えたりしていたので、始発まであと10分という時間に。ここでいつもの私の悪いクセ。「一食くらい抜いてもいいや」
市電の始発に乗って碧血碑を目指しました。

小樽旅行 181小樽旅行 194
谷地頭で降りて函館八幡宮方面へ歩きます。ここって近くに谷地頭温泉があるんですよね。実は札幌で銭湯に行かずに谷地頭温泉に行くことも考えたのですが、時間の都合でまたの機会に。

途中の道が急で、つくづく普段の運動不足を思い知らされました(^^;
行った日は6月24日だったので、碑前慰霊祭の1日前でした。翌日にはご子孫の方々が集まられて、僧侶のあげるお経のもと、厳かに慰霊祭が行われたそうですが、この日はやはり通る人も無く、ただただ、うぐいすの鳴き声が響くだけ。朝だったからいいものの、夕方女性一人は絶対におすすめできません。

小樽旅行 182そして碧血碑が目の前に。
途端に、あれ?何だろ。涙がぽろぽろと…次から次に出てきて止まらない。ずっと来たかった場所に来れたので感極まったのかも知れませんが、不思議なことに本当に涙が自然に溢れて止まらないのです。

碧血碑については今更説明する事もないと思いますが、旧幕軍の兵約800人の戦死者を供養するために明治8年に建てられた碑です。「碧血」とは「義に殉じた武人の血は三年たつと碧色になる」という中国の故事(荘子)から来ています。題字は大鳥さんの書だと言われています。
碧血碑は山の中腹に人目を避けるようにひっそりと建っています。その台座の裏側には
 
 明治辰巳實有此事 (明治辰巳実に此の事有り)
 立石山上以表厥志 (石を山上に立て以てその志を表す) 
    明治八年五月

と書かれてありました。碑の建立当時はまだ、賊軍であった旧幕軍の兵を弔う碑を建てることはおおっぴらにはできなかったそうです。
ふと、この明治8年といえば、榎本さんはいったい何をしていたのだろうと思い年譜を見ると、まさにこの年の5月7日に千島・樺太交換条約の調印をしているではないですか。ということは、この碑が建立された時、榎本さんはサンクトペテルブルグにいて、日本にはいなかったんですね。

ここから先は想像ですが…賊軍の汚名を負った者の祭祀を政府が正式に許可したのが、前年の明治7年8月だそうなので、この碑を建てた人達は、きっと許可が出てすぐに碑を建てることを決めたのだと思います。そしてその時期は「箱館総攻撃があって、多くの人が死んだ5月の七回忌の時にしよう」と。
本来なら、榎本さんが題字を書くはず…なのですが、すでに明治7年の6月には特命全権公使としてロシアに赴任していたので、代わって大鳥さんが題字を書いた…のでしょうか?

小樽旅行 190かたわらには柳川熊吉の慰霊碑がありました。
柳川熊吉は「賊軍の遺体を弔ってはならない」という新政府軍の命令に逆らい、咎めを受けそうになりながらも旧幕軍兵士の遺体を埋葬した人物です。碧血碑建立にも尽力し、その後も碧血碑の管理をしながら89歳で亡くなったそうです。こちらにも手を合わせました。

碧血碑はほかの史跡とは違う、独特の雰囲気があるとは聞いていたのですが、わかるような気がしました。決して遊び半分の観光気分で来るところではない、戦いで亡くなった人たちを悼む、侵しがたい厳粛な空気がありました。ここに来るまでの道は寂しくて少し怖かったけれど、一人で来て良かったと思いました。たとえ誰かと一緒に来ても、きっと一言も話さずにただ手を合わせて黙祷するのみだったでしょう。

再度碧血碑に向かって黙祷し、ここを後にしました。



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【2008/08/24 23:53】 | 榎本武揚没後100年関係
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まるみ
函館も行かれたのですね。
私は、歩成峠の東軍慰霊碑で、同じような経験をしましたよ(^_^;)


香音里
まるみさん、こんばんは。

本当に駆け足でしたので、函館はぜひもう一度ゆっくりと行きたいと思います。
思い入れがあるから感情が昂ってそうなるのか、それともやはり慰霊碑には何かがあって、訪れた人に訴えかけているからなのでしょうか…本当に不思議な感じでした。


まるみ
すみません、「歩成峠」じゃなくて「母成峠」ですね(^_^;)

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