和魂凡才 おでかけ・史跡めぐり
和魂洋才の人・榎本武揚を主に、幕末関係の話や本の紹介をする凡才人のブログです
気がつけば、11月は1回しか更新していないじゃあないですか。しかも幕末ネタじゃないし。

ってことで、慌てて今秋行った幕末展の話などを書いてみます。

『幕末を翔けぬけた人々』
  9月18日~11月28日
  大阪青山歴史文学博物館

えーっと、行ったのはもう2か月以上も前なんですが(汗)
開陽丸の絵が展示されていると聞いて行って来ました。
「大阪青山歴史文学博物館」と言っても、博物館があるのは大阪ではありません。
兵庫県は川西市。私、能勢電に初めて乗りましたよ。
駅に降りたらお城がそびえ立っていました。実はこのお城が博物館。

主な展示資料は
ペリー提督日本派遣信任状
徳川慶喜書
徳川斉昭書
松平容保和歌
山縣有朋和歌
西郷隆盛書簡
木戸孝允書簡
などの幕末の有名人の書や書簡や、官軍が使用した軍服。

これだけ多彩な人たちの書等が展示されているのに、この時期には珍しく龍馬関係は肖像画くらい?
もともと龍馬関係の品は博物館が所蔵していないのか、それとも今あちこちで龍馬関係の展示がされているので、借りられなかったのかしら。

釜さん関係の品は

今回の展示のポスターにもなっているフランソワ・カーレビュルの「開陽丸図」
幕府派遣オランダ留学生写真
伊藤博文から釜さん宛の書簡

が展示されていました。

なかなか充実していて良かったです。


『幕末 京都をめぐる雄藩と高槻
    -黒船来航から鳥羽・伏見の戦いまで─』 
   10月2日~11月28日
   高槻市立しろあと歴史館

恥ずかしながら、幕末に高槻藩という藩があって、その昔お城があったという事を知りませんでした。
それもパノラマ模型を見ると、けっこう大きなお城です。その城跡に建てられた博物館です。
こちらは地元の博物館の展示ということで、高槻藩関係の資料が中心でした。
他にも大塩平八郎や、ペリー、プチャーチンの来航に関する資料、ミニエー銃などの銃器類、新選組の袖章なども展示されていました。
今回の展示とタイアップして講演会や講座、歴史ウォークなんかも開催していますし、展示資料の釈文なんかもいただけたりして、かなり頑張ってます。観覧料200円です。
始まってすぐ行った大阪青山歴史文学博物館がほぼ貸し切り状態だったのに比べ、高槻のしろあと歴史館は見学客はけっこう多かったです。地元の歴史館も侮れません。

どちらの展示も11月28日(日)まで。
ホントにギリギリの紹介ですが、興味のある方は足を運んでみられては?

【2010/11/25 23:58】 | おでかけ・史跡めぐり
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出島の次は釜さんたち伝習生が行ったであろう、いや、絶対に遊びに行った花街・丸山へ。
最初、出島から歩いて行けるかなと思ったのですが、体力温存のため市電を使って思案橋まで。

丸山は江戸の吉原、京の島原と共に三大花街と並び称された花街でした。
昔、思案橋電亭の辺りは川があって、丸山花街へ向かうのに橋がかかっていたそうです。
「行こか戻ろうか」と橋の上で思案したので「思案橋」と名付けられたとか。
今は川も橋もなく、橋の欄干を模した碑があるだけです。(って、写真はありません)
夜になると色とりどりのネオンが輝く長崎随一の繁華街です。
2010_07262010 長崎0078


そして思案しながら橋を渡った人たちが決意して思い切ったのが、丸山の入口・二重門(大門)が見える場所にあった「思切橋」
橋の欄干の一部が残っています。
その横に立っているのは見返り柳です。
丸山で遊んだ客たちは、ここで振り返りながら芸妓との別れを惜しんだのでしょうか。
残念ながら橋がかけられたのは明治、見返り柳は昭和に植えられた4代目だそうなので、釜さんが見たものではないんですね。
2010_07262010 長崎0082

レトロな交番がありました。
この辺りに二重門があったそうです。
2010_07262010 長崎0083


丸山公園。
最近ここにも坂本龍馬像が立ちました。
本当にどこに行っても龍馬が出張っております。
2010_07262010 長崎0087 2010_07262010 長崎0084

2010_07262010 長崎0089

史跡料亭「花月」です。
ただの料亭ではありません。長崎県指定の「史跡」です。
前身は丸山随一の遊郭「引田屋花月楼」で360年の歴史を誇る老舗です。
幕末の志士たちが会合したり、外国人をもてなす社交場だったそうです。
龍馬が酔って斬りつけたという柱の傷跡が残っているそうです。(老舗の料亭にはありがちなエピソードですよね)
こんな料亭で卓袱料理を食べてみたいものですが、女一人の貧乏旅行では到底無理なので、こちらをどうぞ。

丸山公園そばにあった説明板。
江戸時代後期の丸山花街の様子が描かれています。
2010_07262010 長崎0085

花月の前を左に曲がると古い建物があります。
長崎検番です。
検番とは芸妓さんたちをとりまとめている事務所のようなところだそうです。
2階にかかっている提灯には芸妓さんの名前が書かれています。現在21名の芸妓さんがいらっしゃるとか。
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更に道をまっすぐ行くと、つきあたりに階段があり、「長崎丸山 華街跡」の碑が。
2010_07262010 長崎0094 

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階段の上にあるのは料亭青柳。
幕末、こちらの前身の杉本家には大隈重信や井上聞多も訪れたとか。
「長崎ぶらぶら節」で有名な愛八さんが住んでいたこともあったそうです。
実は私は民謡のぶらぶら節もなかにし礼さんの小説も知りません(汗)
でも、もう少し丸山をぶらぶらしてみました。(つづく)


【2010/08/15 23:02】 | おでかけ・史跡めぐり
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今回の言い訳。
私が記事を更新できないのは、PCがくそ重たいからというわけでもなく、花火大会や観劇の誘惑に負けたからでもなく、もちろん仕事が忙しいなんて事は絶対なく、ひとえにクーラーの誘惑に負けているからです~。

10日ほど前から、我が家もついに我慢できずに寝る時にクーラーをかけて寝るようになったのですが、我が家にクーラーは寝室に1台のみ。普段はリビングとの境を開け放っているのですが、寝る時はそこを閉めてしまいます。私がブログを更新するのはもっぱら相方が寝静まってから。
う~ん、暑い!ふすまを開ければそこには天国があるというのに…!
もういいや、天国に行っちゃお!…なんて事がほぼ毎日…。
異常、いや以上言い訳終わり。
それにしてもこの暑さは異常です。

出島へ向かいました。
2010_07262010 長崎0012出島は鎖国令を敷いていた日本にとって唯一外国に向かって開かれた窓口でした。
「出島」の名の通り、昔は海に向かって出ていた扇形の人工の島でした。
明治以降、出島周辺後が埋め立てが進み、1904年(明治37年)には原形が失われ、市街地の中に埋もれてしまいました。前に見えているのは海ではなく中島川。

2010_07262010 長崎0015もらったパンフレットによると、1996年(平成8年)から短中期、長期的な出島の復元整備事業が始まり、19世紀初頭の建造物25棟の復元、将来的には扇形の島の完全復元を目指すそうです。そのためには中島川の振り替え、国道の線形変更など大規模な工事になるそうです。







長崎に行く前に、大慌てで積読本にしていたカッテンディーケの「長崎海軍伝習所の日々」を読みました。
オランダ教官たちが日本にやって来た当初、出島というこの狭い土地に押し込められる事への不満をつづっていたのですが、実際は長崎市街への出入りも許可されていたのですね。諏訪神社や稲佐山辺りまで散策したり、浦上まで遠乗りをしては、長崎の美しい風景を絶賛しています。

また、熱心な伝習生は伝習所での授業だけでは飽き足らず、出島の教官の所まで個人指導を受けに通ったそうです。



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水門
昔はここから貿易品を出し入れしました。







2010_07262010 長崎0043
カピタン部屋
オランダ商館長(カピタン)の住居兼事務所として使われた建物です。
1階では出島の歴史が学べる展示、2階ではカピタンの生活の様子を再現しています。



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カピタン部屋の2階です。
商館員は1日2回カピタン部屋で食事をしていたそうです。







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表門
江戸町側と出島を結ぶ出島への入口です。
現在は繋がってないので、ここからは入れません。







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出島内は史跡ゾーンと交流ゾーンに分かれていて、交流ゾーンには明治期の建物があります。

旧出島神学校
この建物は、確か15年前に来た時にも見た覚えがあります。







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ミニ出島
15年前に「出島」を観光した時にはこのミニ出島しかなくて「これだけ!?」と非常にがっかりした覚えがあります(笑)






2010_07262010 長崎0060旧出島神学校内では海フェスタとタイアップして「龍馬と海と出島」展を開催中。
海軍伝習所跡は目と鼻の先というのに、どーーーしても「龍馬」なのね(涙)
とはいうものの、パネル展示がメインではありましたが、しっかり海軍伝習所についても展示されていましたよ。

HPには「すべて回れば2時間くらい」と書かれていたので、だいたい2時間を予定していたのですが、展示もじっくり見ようと思えば、2時間では足りないくらいでした。




【2010/08/08 23:45】 | おでかけ・史跡めぐり
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出島♪
はな。
レポ楽しく拝見してます☆

やはり出島にも龍馬の手が回って
おりましたがっっ。
(アイツめは出島に縁もゆかりもないのに)

ところで。
2007年に出島に行ったおりには、
「2010年に出島復元完成予定」と
書かれていたのですが・・・・・・完成してません
よねっっっ??(笑)
いつに延期になったとか、
どこかに新たな期限の表示をごらんになりましたでしょうか~~??


実は私も…
香音里
「果たして完成しているのか、いないのか?」と思いながら訪れました(笑)

パンフにはすでに「2010年完成予定」とは書かれていませんし、「復元整備事業が進められています」と現在進行形で書かれてあります。
建造物は全部で25棟復元予定らしいのですが、現在明治時代の建物を入れても18棟しかありません。
実際に工事用の柵で囲まれているところもありました。(でもその場所以外は、これ以上建物が建つスペースはあまり無いようなのですが)
ということで、まだ完成はしていないようですが、完成予定がいつになるのかは残念ながら解りません。

最終的には四方を水で囲む予定だそうなので、完全に復元が完成するには、かなりの時間がかかると思われます。
どうやら、計画が思うように進んでいないような…。


やすゆき
初めまして、やすゆきです。一つ疑問なんですけど、

<函館には釜さんを称える物は残念ながら存在しません。ただ、パレードなどには登場し、町名にもその名が残されています。(榎本町、梁川町)>

とありますが榎本って町名はまだしも梁川ってのは釜さんとどういう関係があるのでしょうか?


香音里
やすゆきさん、はじめまして。

榎本釜さんの雅号は「梁川(りょうせん)」といいます。函館の梁川(やながわ)町はそれを訓読みしてつけられたものと思われます。
小樽にも釜さんゆかりの地で「梁川(やながわ)通り」という通りがあります。
他の地方の「梁川町」の由来は解りませんが、この函館と小樽の地名は榎本釜さんの号から付けられたと思われます。

ちなみに「梁川」という号は、釜さんが江戸下谷御徒町の柳川横町生まれなので、町の名に因んで最初「柳川(りゅうせん)」と付けたのですが、柳川だとドジョウの「柳川鍋」に通じるので、少しもじって「梁川」にしたという説があります。



ぶらんのわ〜る
こんばんは!始めまして♪
ドラマ「五稜郭」を観て以来の榎本さんファンの私ですが、当時は資料がなさすぎて謎の人のままでした・・・
が、北海道に移住し、今年久しぶりに五稜郭&(念願の)開陽丸を訪れてから再加熱!!
こちらのブログに頭が下がります!ファンの鏡です!!
札幌のお隣、江別市という街に榎本さんをたたえる公園があるのはご存じですか?小さすぎて見過ごしそうな公園ですが、榎本さんファンなら必見です♪
あと、北海道旧道庁に開拓使時代の榎本さんが黒田さんと共演してる絵があります!
近くに住んでいながら小樽の事は知らなかったので、近いうちにレポートに行こうと思います♪
長崎・・・また行きたいです・・・


香音里
ぶらんのわ~るさん、はじめまして。
拙ブログにお越しいただき、ありがとうございます。

ドラマ「五稜郭」は私も榎本さんにはまったきっかけの一つです。
江別の榎本公園はまだ行った事がありませんが、いつか行ってみたいと思っています。なぜかここの榎本像の写真がマイPCの壁紙になっております~(行った事ないのにィ?)
赤れんが庁舎の絵は一昨年札幌に行った時に見ましたよ~!

北海道にお住まいなのですね。
小樽にまだ行かれていないのなら、ぜひ行ってみてください。函館の何倍も榎本さんが愛されていますから(笑)

かなり偏ったブログですが、よろしければまた遊びに来て下さいね。


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ずいぶんと日にちが経ってしまいました。
毎度の事ですが、写真を取り込むのにハードディスクの容量がいっぱいで苦労しています。
せっせと古い写真を移しているのですが、なにせ作業しようにもPCが動きません(汗)
もう言い訳ばっか~~~(泣)

さて、今回の旅行も4日とも快晴すぎるほど快晴でした。
榎本さんを訪ねる旅の一番初め、一昨年の函館こそ雨は降りましたが、それ以降一度も雨に遭っていません。
これも龍宮神社の龍神さまのご利益でしょうか。

8時50分に長崎空港に到着。そこからバスで40分ほどで長崎市内へ。
中心地に入るとバス停にはこまめに停まってくれるので、県庁前で降車。県庁向かいのホテルに荷物を預け、出発。

現在の長崎県庁が建っているところには、150年ほど前には長崎奉行所西役所、そしてそこに作られた長崎海軍伝習所がありました。

2010_07262010 長崎0006長崎海軍伝習所は1855年(安政2年)に幕府がオランダから軍人士官を教授として招き、海軍士官の養成を目的に作られた教育機関でした。幕臣のみならず、諸藩からも有志を募り、航海技術、造船技術だけでなく、のちには医学や化学の伝習も行われ、多くのすぐれた人材を輩出しました。

榎本釜次郎青年も、この海軍伝習所で最初は員外聴講生として、後には第二期の伝習生として学びました。
他には、勝麟太郎、矢田堀景蔵、小野友五郎、中島三郎助、沢太郎左衛門、薩摩藩の五代才助(友厚)、佐賀藩の佐野常民らもここで学んでいます。

ところで。
写真とはカメラの性能ではなく、センスだと言う事がつくづく解りました(汗)

2010_07262010 長崎0003 2010_07262010 長崎0004

2010_07262010 長崎0001


2010_07262010 長崎0008


こういった碑やパネルが設置されているんですがね…
それだけ撮ってもどうしようもないやん!
辺りがどんな風なのか、全然判りませんっ! 
せっかく県庁を見下ろせる場所に宿をとったっていうのに、その眺めくらい撮れって言うの!
なーんか、こんな写真ばっかりで、帰宅してボー然としました(汗)
自分の写真のセンスのなさにがっかりです。

近くにはこんな碑もありました。

2010_07262010 長崎0009   2010_07262010 長崎0010

この辺りは昔は海で波止場だったんですね。上の伝習所の絵の階段あたり?
案内板によると、天正少年使節がローマへ向けて出航したのも、この波止場からだそうです。
今ではすっかり埋め立てられて、かなり内陸になっています。
若い釜さん達が夢を抱いて学び、青春時代を過ごした所だと思うと、函館や晩年のゆかりの地とはまた違った感慨に耽ってしまいますね。

【2010/08/03 23:59】 | おでかけ・史跡めぐり
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お気持ちわかりますっっ
はな。
>それだけ撮ってもどうしようもないやん!
>辺りがどんな風なのか、全然判りませんっ! 
数年前、わたくしも香音里さんと
まったく同じ気持ちでこの場所に佇みましたですよ~~~~(笑)
でもなんだかヤケになって、脳内妄想CGを発揮して
「ここあたりはまだ門か」とか
「石垣は」とかちょっとヤバイ人になって県庁周辺をうろつきました。

・・・・・・西役所は壮麗な建物だったようなので、
残されていたら国宝だったかもしれません(涙)。
もったいないことですっっ。




香音里
はな。さん、いつもあたたかいコメントありがとうございます。
西役所は絵が残っているので、想像することができますよね。思えば、場所が確定されていて、碑や案内板が建てられているだけマシなのかも知れません。(だからといって、写真センスの無さはどーにもならないのですがっ)

ところで、現在の県庁舎、老朽化で建て替えの話が出ているようなのですが、跡地の利用方法を募集したところ、「長崎海軍伝習所の復元を」とか、「出島と連動して史跡博物館として観光の一端に」とか提案ている人がけっこういて(長崎県のHPより)、なんだか嬉しくなりました♪

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箱館奉行所が復元オープンしましたね!

チーム箱館好きとしては今夏は函館へ行くべきなのでしょうが、7月23~26日、あえて龍馬で盛り上がっている長崎へ行って来ました。
ちょうど大河ドラマが長崎編に突入したこともあって、予想通り長崎は龍馬、龍馬、龍馬、福山(笑)
ほんっとに龍馬を避けては歩けない状態でしたー。

長崎には15年ほど前に旅行した事があったのですが、その時は函館の時と同様、幕末にまったく興味がなかったので、ハウステンボスとオランダ村、あとは有名なグラバー園や大浦天主堂、平和祈念公園などを回っただけでした。
今回は一応榎本さんを訪ねる旅ではありますが、ほとんど観光気分。
毎度の事ながら、欲張ってガツガツと余裕のない旅をして参りました。
最初に言い訳をしておきますと、真夏の長崎、体力的に厳しいだろうなーとは想像していたのですが、実際かなりヘロヘロになりました。せっかく展示を見ていてもボーっとして頭に入って来ないなんてことも。
おそらく「レポ」などというまともなものは書けないと思いますので、軽い旅行記のつもりで読んでいただければ幸いです。

と、予防線を張ったところで(笑)、今回の旅行の日程です。

1日目 長崎海軍伝習所跡~出島~丸山界隈散策~崇福寺~軍艦島ツアー~「龍馬と篤姫の生きた時代」展~稲佐山(夜景)

2日目 帆船まつり~原爆資料館~長崎歴史文化博物館~寺町通り~花火見物(海フェスタ)

3日目 三菱重工長崎造船所史料館~風頭公園~亀山社中記念館~上野彦馬写場跡~興福寺~眼鏡橋~孔子廟~大浦天主堂~グラバー園

4日目 ハウステンボス

…ぼちぼちと書いて行きたいと思います。


【2010/07/30 01:07】 | おでかけ・史跡めぐり
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函館から今晩は!
ミカエル
今晩は!
初めまして。函館からです。
長崎へは6年前の秋、テンボスには2年前の春に行きました。
どちらも感動の旅でした。

函館には釜さんを称える物は残念ながら存在しません。
ただ、パレードなどには登場し、町名にもその名が残されています。(榎本町、梁川町)
明治政府への遠慮があったのでは?と思います。

降伏調印式の会場「亀田八幡宮」は、当時の姿を残しています。
奉行所公開初日は生憎の雨。
榎本、土方の涙かも。
予定人数を大幅に下回りました。

西部地区には、「北海道坂本龍馬記念館」もオープン。
お出での際には、ぜひコースにお加えください。
それでは、失礼します。

ミカエル




いらっしゃいませ。
香音里
ミカエル様、はじめまして。
拙ブログへお越しいただき、ありがとうございました。
ミカエル様のブログは、函館の情報源として以前から時々拝見しておりました。

今の長崎が龍馬一色なように、函館と言えば土方さんですもんね。五稜郭でも銅像の置かれている場所とか、お土産の数とか、なんだか榎本さんの影が薄くって、ちょっと寂しいです。

箱館奉行所にはもう行かれたのですか?
せっかくのオープニングが雨でちょっと残念でしたね。
レポは途中で放置しておりますが(汗)、亀田八幡宮には昨年行って参りました。
おっしゃる通り昔の佇まいを残してました。
「北海道坂本龍馬記念館」は龍馬にはあまり興味がありませんが、榎本さんの書を所蔵されているとの事なので、ぜひ行ってみたいと思います。

他にもおすすめの場所などありましたら、教えていただけるとありがたいです。
(すでに来年訪函する気満々ですっ)


有難うございます
ミカエル
香音里さん、こんばんは!
私のブログをご覧になって頂き、有難うございます。高齢者なものですから、文章も写真も低レベルで・・・。

奉行所へは、学校の夏休みが終わってから行こうと考えております。
「亀田八幡宮」の外壁には、当時の銃弾跡がありましたでしょう。
それと、門灯のデザインは、明治を感じさせるものですね。

函館は大火の多い町。
幕末時の建物は皆無で町並みも大きく変貌しております。
ですから「この辺りに○○があったようです」の説明になります。

土方が寄宿した大店や写場などは、ある程度特定は可能です。

今後ともどうぞ宜しくお願いします。

ミカエル

お返事が遅くなって申し訳ありません
香音里
ミカエル様、お返事が遅くなって申し訳ありません。

>高齢者なものですから、文章も写真も低レベルで・・・。
何をおっしゃいます!
とてもきれいな写真が満載で癒されますよー。
私は本当に写真のセンスがないので、今回もまともな写真が全然なくって、いっそのこと写真抜きにしようかなんて考えたりしています(^^;

函館は何度行ってもまた行きたくなる街ですね。
こちらこそ、今後ともよろしくお願いいたします。





こちらこそ遅くなって
ミカエル
香音里さん、おはようございます。
私は地元の新聞社の写真教室に通いましたが、郊外撮影が多く、トンネル通行が苦手で途中退会。
ブログには、自信がなくても写真は大事。
どんな説明よりも臨場感があふれます。

函館ファンになっていただき有難うございます。
次回のご来函のおりには、お知らせください。
お待ちしております。
ミカエル

Re:
香音里
ミカエルさん、度々ありがとうございます。
デジカメだと撮り損ねても簡単に消去できると思うせいか、あまり考えずに気軽に撮りすぎてしまっているような気がします。
今後は、もう少し「人を魅せる」とまでは言いませんが、「人に見せられる」写真を撮りたいと思います。

来年はまた函館を再訪したいと思っています。
その折にはぜひよろしくお願いいたします。



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お久しぶりです。
「桜が開花しましたねー」って書いたっきりすっかり更新が滞ってしまい、気がつけばもう桜も葉桜。
以前も書きましたが、私は不器用なので、ひとつ気になる事があれば他の事が手につかなくなる性質。
我が家でお花見バーベキューを主催する事になったために家の大掃除を始めたところ、模様替えまでする羽目になり、収拾がつかなくなってしまいました(汗)
お花見が終わり、ブログを更新しようと思ったのですが、長めに休んじゃうとどうも書きにくい。
毎日「ま、明日でいいか」と思ってるうちに3週間もさぼってしまいました。

こちらから「紹介させて」と言っておきながら不義理をしてしまっている方々、申し訳ありませんm(__)m
もう、いい加減なヤツでごめんなさいっ(><)
今日から心を入れ替えますので、許して下さい~。


さて、久しぶりということで足慣らし(^^;

世界遺産・姫路城が明日から「平成の大改修」に入ります。
昨秋からすでに改修工事は始まっていたのですが、本格的に天守閣の工事に入るのはお花見の時期が終わってからという事になっていました。
この土・日は今シーズンの(土・日のおそらく)お花見の最終に、天守閣の見納めという事で、すごい人出だったようです。
入城券を買うまでに1時間半ですって\(◎o◎)/!

で、思い出しました。
昨秋姫路城に行って、毎度のごとくその記事がお蔵入りになっていた事を!

季節は違いますが、しばらく見納めという事で写真をUPしま~す。

019.jpg

060.jpg

改修工事は2015年春までかかるそうです。
でも、天守以外の西ノ丸、三ノ丸には入れるようですし、天守部分に覆いがかけられても内部に展望スペースが設置され、伝統的な匠の技を使った修復作業も見られるようですので、城郭建築に興味のある方はそれも楽しみかも知れませんね。




【2010/04/11 23:59】 | おでかけ・史跡めぐり
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お久しぶりです。
Koto
こちらもようやく生涯学習講座のレポを始めました~
それまで、カピバラさん記事とかでお茶をにごしてましたので(汗)
足慣らしは大事かと思われます!

無理せず、ゆるゆるお待ちしております♪

ごめんなさいですm(__)m
香音里
Kotoさん、お久しぶりです。
すっかりサボってしまってました。すみませんっ。
口先女とは私の事ですーーー(><)
しかもなんだか全然紹介文になってないような気がします。。。
こ、これに懲りずに今後ともよろしくお願いいたします(汗)

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どうも最近根気が無くなって嫌になってしまいます。
記事を書きかけちゃ途中で放置してしまうので、そのうちに旬を逃してお蔵入り…ってことばかり。
東京の話とかオリンピックの話とか、いろいろ書きたかったんですが、どうもいつもと同じになってしまいそう。
でもせっかく書きかけたので、旬を過ぎているのを承知で2月半ばから末にかけての10日間ほどの東京旅行の話、オリンピックの話をザクッと書いちゃう事にしました。(って、書き初めてすでに1週間ほど経っています・汗)

2月20、21日に一泊二日で東京へ行って来ました。
ここ数年、旅行といえば一人か母と、または相方と行くばかりで、友人との旅行は15年ぶりくらい?
今回は直前にちょっと忙しかったし、相手のある旅行なので、下調べはほとんどできませんでした。
行き当たりばったりになりそうな予感…。
2月20日(土)
午前8時すぎのひかりで東京へ。
到着後ディズニー・シーへ直行。
同僚Mちゃんと旅行スタイルがあまりに違い、お互い困惑(笑)
私は旅行の荷物はなるべく少なくしたい方なので、小さなショルダーバッグと普通サイズのトートバッグだったのですが、Mちゃんはそのトートバッグ大のショルダーにソフトキャリーで登場。
げっ、1泊2日で何入ってるの?と思ったところ、大きな化粧品のビンが4本に大きな鏡、ヘアアイロン。ホテルで寛ぐためのルームウェアに、ストールも2日分の服に合わせて2枚持ってきてた…。
お土産にしても、私は自分の分より他人の分をついついたくさん買っちゃう方なのですが、会社へのおみやげを2人で割り勘して買おうと思っていたところ、「私、おみやげ買わなくてもいいかな」と言われてちょっとびっくり。買ったのはほとんど自分用らしい。(あ、でもその後赤坂のTBSショップで会社用のおみやげ買ってました。)

ディズニーシー 001

ディズニーランドの方は何度も行った事があるのですが、シーの方は初めて。
私はガツガツ回りたい方なんですが、Mちゃんは3回目と言う事もあり、あまりガツガツとしたくないよう。
お昼すぎに入ったので、人気のアトラクションのファストパスはもう終了していて、タワー・オブ・テラーなんか160分待ち。1つだけファストパスを取ったものの、20時半からだって。もう笑うしかない。
「並ぶの嫌」とMちゃん。私だって並ぶのは嫌だけど、でも多少は待たなきゃ何にも乗れないのよ!取りあえず並ぼう、と70分待ちのアトラクションに並ぶ。
ともすれば喫煙所に行きたがるMちゃんの尻を叩きながら移動。「煙草が切れると機嫌悪くなるの」とのたまっておりましたが、途中でドナルドに会って一緒に写真を撮ったら急に機嫌が良くなりました。まだまだ子供じゃの~。
シーの方は大人向けだけあって、夕方になってもなかなか人が少なくならず、いつまでたっても1時間半待ちとか。
結局12時ごろから21時半まで居て、乗れたアトラクションは4つだけ。やっぱりディズニーランドは平日来るべきですね。
21時10分ごろ、突然イクスピアリの中にあるディズニーストアに行きたいと言いだしたMちゃん。22時で閉店のようで、「あと1時間あるやん!」と言うけれど、「今からここ出て、ロッカーから荷物出してモノレール乗ってたら時間ないから無理」と言うと一旦は諦めたのですが…。

ところで、どうしても腹の虫が収まらない事があって。
普段、旅先ではなるべく交通手段にバスは使わないようにしています。先払いか後払いかその土地によって違うし、降車する時も前からなのか真ん中からなのか、初めての土地では判らないからです。
この日、たまたま目の前に浦安行きのバスが来たので、つい乗ってしまったのですが、運賃は前払いでした。
「先に払うんですか」と聞いた時点ですでに運転手(ムカつくので「さん」は付けません!)は不機嫌な答え。しかもちょうど持っていない場合は両替してから入れろと言う。Mちゃんがまず両替。そして私も両替しました。後ろにはお客さんが2人ほど待っていました。
運転手は明らかにこちらに聞こえるように「はぁーっ」大きなため息をつきました。「早くしろ」と言う事なのでしょう。こちらも焦って、せっかく両替した小銭をうっかり落としてしまいました。またもや明からさまに「ちっ!」と舌打ち。しかも丁度お金を入れたはずなのに、投入金額の数字が変わらないので、また焦って100円多めに入れてしまいました。(←これが一番くやしー!)
「あぁ、もう入れなくていいですよ」と運転手。

あのさ、大阪は普通後払いなんですよ。後払いだと後ろがつっかえずに乗れるし、小銭がない人は降りる前に余裕を持って両替できるでしょ。前払いにするならお金を投入したらお釣りが出るようなシステムにするのが当然じゃないですか。乗る時に両替してたら、どうしてもつっかえるでしょーが。本当に合理的じゃないったら!!
しかも、ディズニーランド前なんて、路線バスでも地元の人ばかりが乗るとは限らないじゃないですか。旅行者でそのバスに乗るのが初めての人だって当然いるはず。この運転手の態度は本当に腹が立ちました。
それとも、東京ではこんな態度が普通なんでしょうか?大阪だったら、間違いなく「何ため息ついとんねん!」(頭の中ではもっと汚い大阪弁が炸裂していますが、自粛)って事になりますよ。
運転手の名札見といて、苦情の電話入れてやれば良かったかしら。東京ベイ○ティバス!
今まで何度も東京に行っていますが、高飛車な物言いをされる事がけっこうありました。言葉のせいか、大阪の人間にしたらなんだか冷たく聞こえるのです。田舎者のひがみなのかもしれませんが。

あ~、すっきりした。(東京の方、気を悪くしたらゴメンナサイ。)


2月21日(日)
東京2日目。
午後4時までは何も予定が決まっていませんでした。
上京前にMちゃんに聞くと、特に行きたいところがないと言っていたので、ここは私のリクエストでお台場…じゃない、御台場に行くべくメトロの駅に近いところにホテルをとっていたのですが、「お台場に行こう」と言っても、よい返事が返ってこない。そしてMちゃん、昨日行けなかったイクスピアリ内のディズニーストアに行きたいと言い出しました。ディズニーストアなら大阪にもあるのにーっ!
結局、ディズニーシーのお土産が入った袋を抱えて、再度舞浜へ。思いのほか時間がかかって、お台場に行く時間がなくなり、途中東京駅で荷物を預けて赤坂に直行。

赤坂サカス&赤坂ACTシアターは初めて。
ここでMちゃんにお願いして、1時間だけ別行動。赤坂サカスからほど近い勝麟さん宅跡へ。
って言っても、喫茶店の横に碑と説明板があるだけなんですが。


ディズニーシー 024 ディズニーシー 022 

そして氷川神社へお参り

ディズニーシー 032

今回の旅行の史跡めぐりはこれだけ。 

4時からは「TALK LIKE SINGING」を観劇。
ニューヨーク公演の凱旋公演という事で、台詞は日本語と英語両方が混ざっています。
英語部分は横に字幕が出ます。2階席でしたが、最前列だったので字幕も見やすかったです。
出演者は皆さん上手かったし、すごく頑張っていました。
慎吾君は持ち前のキャラクターで、明るく人なつっこいターロウを演じていたし、脇を固める3人は皆さん、芸達者で歌もうまいし、特にジェイさんはもしかして主役は彼?と思わせるほどの活躍ぶり。
決して面白くなかったわけではないんです。でもなんだ?この満足していない感は?

三谷さんの芝居と言えば、次から次に間断なく押し寄せるようなテンポのいいシチュエーションコメディが売りのはずなのですが、どうもミュージカルになるとテンポが悪いような気がします。それは評判の良かった「オケピ!」でも音楽劇「サザエさん」でも感じた事です。変に間延びしている感じ(字幕を見るという影響もあるかと思います)。正直眠たくなったところもありました。
下駄のタップダンスや50州の歌とか、楽しいシーンもたくさんありました。でもどうもミュージカルとしての高揚感がない。面白い!って思える手前で終わっちゃってる気がする…。
三谷さんがパンフレットに「僕はミュージカル好きだがミュージカル信奉者ではない。だからミュージカルを創る時には、ミュージカル嫌いの人たちにこそ受け入れられて、楽しんでもらえる作品を創るのが僕の使命」「ミュージカルの形をとったストレートプレイ」と書かれていました。
多分、「ミュージカル」として楽しみにしていた私と、その辺の温度差が「満足していない」感になったのかなぁ、と思います。

カーテンコールが終わって劇場を出たら夕方6時過ぎ。新幹線は7時3分発です。
「こんなギリギリの計画立てて!」とか「晩ご飯はどうすんの!」とか横で叫ぶMちゃんを軽くあしらいつつ、東京駅へ。荷物受け取って、弁当買ってトイレも済ませて、10分前にはホームにいましたよ。
こちとら待ち時間が最少で済むようにちゃーーーんと計算してるんだい!
新幹線内でも、ひかりだったため「停車する駅が多い!」と愚痴るのはもう無視。
そして2つ前の記事「ショックな話」に続くのでした。



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【2010/03/09 23:45】 | おでかけ・史跡めぐり
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こんにちは!
はな。
東京滞在の限られた時間のなかでちゃんと勝邸跡&氷川神社を
チェックされているとはさすがです☆

>浦安行きのバス
確かに昔はバスの運ちゃんにも態度の悪い奴はいたのですが、
最近は路線が激減したためか不気味なほどに愛想のいい人が多いので、
都民からするとこの浦安行きバスの運転手って何者!?と思います!!
ただ東京人としては「東京ディズニーランド」も「東京新国際空港(成田)」も
「東京じゃないでしょ、千葉デショ!」とその東京なりすましぶりには、
常日頃から腹が立っておりマス(爆)。
知事も森田健作(千葉)なのに、なぜ浦安も成田も「千葉」と堂々と名のらないのか!
というわけです。
おかげでディズニーランドも30分で行けるのに、一度も行ったことがありません(笑)。
・・・・・・というのはさておき、そのバスはよくありませんね!
きっと観光地で、バスが有効な交通手段だからってデングさまになっているのでしょう。
ひじょうにムカつきます~~~!

>運賃は前払い
小さい頃から並んでいるうちにバス代を用意しておくよう、
しつけられているせいでまったく気にしていなかったのですが、
後払いのほうが断然楽ですよね!
しかもディズニー浦安の場合、観光地なのだし、荷物も多いお客さまもたくさんおられるのに。
なんで前払いなんでしょうね???(定額運賃=前払いだと思い込んでいるのだろうか)
・・・・・・この観光地も昔からあるのにそういう改善ひとつやっていないとは・・・・・・。
同じ関東者として、嘆かわしうございます。

>「こんなギリギリの計画立てて!」とか「晩ご飯はどうすんの!」
香音里さんはお優しすぎますよ~~~~。
こんなことを旅の相棒(ってもなにもしない人)に言われたら、
その場で置き去りの刑にしちゃいますヨ~~~(笑)。
(たとえそこが外国でも即実行します・爆)
「なんていい人なんだ・・・・・・」って、
ホントに香音里さんに後光が差してみえましたです。


こんばんは♪
香音里
そっか、東京ディズニーランドは千葉でしたね。
失礼しました(笑)

普段旅行に行く時は、その地でのバスの乗り方も前もって調べていくし、
小銭も両替しなくていいようにたくさん持って行くのですが、やはり今回は行き当たりばったり。
最初電車で移動する予定が「魔がさした」のでしょうか、うっかりバスに乗ってしまったんです。
しかも、電車の券売機で両替できるからいいや、と小銭を使い果たしてしまってて…。

たまたまイヤな人にあたっちゃっただけで、東京(もしくは千葉)のバスの運転手さんが、
皆こんな人でない事はもちろん解っていますよ~。
でも、前払いってなんか「感謝してもらってない」気がするのは私だけでしょうか?(笑)
食券を券売機で先に買うのも、そんな気がしてあまり好きではありません。
だって、降りる時運転手さんって「ありがとうございました」って言いませんよね。
(多分、乗る時も言わない気がする)
逆に、運転手さんや店員さんに「ありがとう」とか「ごちそうさまでした」も言えませんし。
う~、こんな考え方するのは大阪人だからなのでしょーか?

>香音里さんはお優しすぎますよ~~~~。
とんでもないですっ。
その証拠に、こうやってブログでぐちぐちと愚痴ってます(笑)
帰阪した翌日、確定申告に行ったら3万円弱の還付金がある事が解り、
一瞬「このお金でもう1回東京に行けるかも」と思ったのですが、
即座に「いやいや、もう絶対に一緒に行かない!」と思いなおしました(^^;


東京レポ、楽しく拝見しました。
ゆらり
香音里さん、こんばんは♪
最近の楽しみの一つ、M子ちゃん。(笑)
今度はどんなワガママをしたのかと期待?しながら読んでいます。

ワガママな人って甘え上手なところもあって、腹をたてながらも、むげに突き放せなかったりしますよね。
私の友達にも似たような子がいるんですが、こんな奴と二度と旅行しない!!と何度も思いながら、5年ぐらいするとまた一緒に出かけてる。(汗)
でも、ひとり旅が一番気楽ですね。(#^.^#)

TSL、ニューヨークでは酷評だったみたいですね~。「オケピ!」は、私も前列の席だったのに途中でウトウトした記憶があります。何でだろうとずっと思っていたんですが、そうです、気分が高揚するような盛り上がりがなかった。

知らない土地でバスに乗るのは、ホント緊張しますね。
「ちっ」は、許せなーい!!
おまえは国母か、と言ってやりましょう。
私の知人で、ずいぶん長い間、公共料金の支払いを口座引き落としにせず、営業所までわざわざ支払いに行っている人がおりまして、理由はというと、「ありがとうございました」を言ってもらうためだそうです。(笑)


そうなんですよね~
香音里
ゆらりさん、こんばんは。
楽しみにしていただいて、ありがとうございます(笑)
Mちゃん、確かに憎めないところもあるので、ついつい「ワガママ~」と思いながらも赦しちゃうんですけどね。
偶然にも名字が同じなので、ほとんど姉のような気持ちで接しております。

今日「秘密のケンミンショー」を見ていたら、大阪人はお店で食事をした後、「美味しかったわ」「ごちそうさま」「ありがとう」「また来るわ」を言うと言っていましたが、それをわざわざ取り上げてる事に驚きました。
「美味しかったわ」はさすがに不味かった時には言いませんが、「ごちそうさま」「ありがとう」は当然だと思っていたので。
前払いに抵抗があるのは、そういうのも関係あるのかも知れません。

TLSはニューヨーク公演よりはだいぶ良くなっているようです。
でも三谷さんの舞台はミュージカルよりも、やはりストレートプレイの方が好きです。
その中でも特に好きな「ショー・マスト・ゴー・オン」がBSで放送されますね!(…て、今我が家はBSが映らない状態なので、人に録画してもらうよう頼みまくりました)
今回「なにわバタフライ」は諦めたので、久々に三谷さんのストレートプレイが見られると思うと、とても楽しみです。


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2009.10 福山 058今回のお宿は駅から徒歩2分、窓からお城が見える(夜はライトアップも)という抜群のロケーションの割にはとってもリーズナブルでした。
福山城というのは、築城当時はとても大きなお城だったようなので、当然このホテルも当時はお城の中だったと思われます。






さて、今回一番の目的の「箱田良助と榎本武揚展」です。
福山城天守内の博物館1,2階で展示されております。
1階は箱田良助に関する展示でした。
榎本パパこと箱田良助は寛政2年(1790)に備後国安那郡箱田村(現在の福山市神辺町箱田)で細川園右衛門の二男として生まれました。その後箱田村の地名をとって箱田良助と(左太夫とも)名乗り、17歳の時に兄と共に江戸に出て伊能忠敬に弟子入りし、測量に参加。(その後兄は江戸で病死)
伊能忠敬が亡くなった3年後に「大日本沿海與地全図」を幕府に提出し、翌年、御徒士・榎本家の株を買い、榎本圓兵衛武規と名乗り、幕府天文方、西の丸御徒士目付、勘定方などに出仕します。
地図が完成した翌年に結婚して仕官したというのは、やはり「やり終えた」という達成感があったのでしょうね。
圓兵衛さんが伊能忠敬の弟子だったと知ったのは佐々木譲氏の「武揚伝」ででした。まだ幼い釜次郎に地球儀を与えて、星や宇宙の話をした小説冒頭のシーンが印象的でした。

展示品は書簡等の文書類が多かったです。測量隊の料理の献立なんかもあったり。
その他、測量に使った道具や御用旗や地図など。
圓兵衛さん、国もとに宛てた手紙がたくさん残っています。釜さんの筆まめは実は父親譲りだったのでしょうかー?
中でも興味深かったのは、亡くなる2か月ほど前に国元の甥・池田楠五郎さんに桜田門外の変の様子を伝えると共に、家族の事を書いた手紙です。
「(圓兵衛さんは)71歳になるけれど、御勘定所へ日勤している。倅勇之助は講武所へ出役し御手当銀二十枚を頂第戴した。次男釜次郎は御軍艦操練教授方へ出役仰せつかって十人扶持。娘三人は御鷹匠へ一人、御勘定へ一人、御徒方へ一人遣わし、いずれも居合よろしく…」
と自分や家族の現在の状況を書き送っています。
自分はまだまだ現役で働き、倅二人は無事仕官し、娘も三人とも嫁がせて、幕府の大事はあったものの、個人的には晩年の一番よい時期だったのでと思わせる手紙です。
それにしても圓兵衛さん、71歳まで現役ですか!すごいです。


2階は榎本武揚に関する展示でした。
やはり目を引くのは中央のガラスケースで展示されている軍服・軍帽とディニエ社製モールス通信機。これが運命の再会(?)を果たした通信機なのですね。
流星刀、吉祥寺のオランダ語の書にも再会です~。
今回初めて見る七言絶句の書も何点か展示されていました。
榎本さんが全権公使として清に赴任する際に大鳥さんが送った漢詩などもありました。

福山の関連として、箱館戦争における福山藩の出兵の模様を描いた絵があったのですが、服装がバラバラで、陣笠をかぶる人、韮山笠をかぶる人の中に、金モールの帯の付いた山高帽をかぶる人、シルクハットをかぶる人もいて、わざわざシルクハットの絵を描いて注釈に「これをかぶる人 この人のみ」と書いていたのにちょっと笑ってしまいました。戦場にシルクハット、目立っただろうなー。

図録も買いました。
窓口の学芸員の方が「ちょうど昨日できたんですよ」って、えっ、開催されてすぐ来てたら買えなかったかも知れないんだ(汗)
福山城博物館での展示ということで、内容はやはり福山に深い関わりのある箱田良助さんに関する記述が多かったです。

その後、3階(水野家・阿部家関係)、4階(古代~中世の福山)の展示を見て、最上階へ。
天守最上階からの本丸の風景です。
真ん中の丸い池みたいなのは、地面にビニールシートを敷いて水を張ったもので、この日は夜に「おしろライトアップ」という、福山城の壁面に色々な模様を投影するというイベントをやっていたのですが、そのためのもの。翌日このライトアップも見に行きましたが、なかなか面白かったです。

2009.10 福山 077

福山出身の箱田良助さんと、箱館戦争では敵同士になって福山藩と戦った武揚さん。
共に浅からぬ縁のある福山での父子展、特にパパ圓兵衛さんを知るには良い展示でした。






【2009/10/28 19:03】 | おでかけ・史跡めぐり
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まやこ
福山レポ、楽しく拝読しています。
福山城が窓から見えるホテルに宿泊されたのですね。
確か、mixiのお城巡りのコミュで紹介されていた気がします。
福山駅が昔の城内にあるのも、そのコミュで知りました(笑)

「箱田良助と榎本武揚展」は充実した内容だったようですね。
榎本パパの業績が詳しく紹介されているのがポイント高いですね。
息子と共にもっと業績が知られてもいい人だと思います。
71歳になっても隠居せず、現役だったのにも驚きです。
時代が更に榎本パパを求めていたのでしょうか。
武揚さんは完全に父の血を受け継いでいたんですね…

図録は、先日の武蔵野大学での生涯学習講座で隆充氏から見せていただきましたが、やはり実物を現地で見るのが一番ですね。


香音里
まやこさん、いつもありがとうございます。

昨年長州に旅行した際、福山でバスから新幹線に乗り換えたのですが、ホームからお城がよく見えて感激したものです。その時は本当に前を通過しただけだったのですが、まさか1年後に再訪するとは思ってもみませんでした。
今回、この宿を選んだのは駅近で安いというのももちろんですが、部屋からお城が見えるというのが大きなポイントでした。

父子展は、小樽で見た展示品もたくさんあったのですが、東京農大所蔵のものはほとんど初見だったので、見られて良かったです。
何より、パパ圓兵衛さんの業績を知ることができたのが、はるばる福山まで行った甲斐がありました。
71歳まで現役でおられたのは、やはり有能な方だったからでしょうね。
武揚さん、確実にお父さんの血を受け継いでます。



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2009.10 福山 012

パネルディスカッション終了後、展示を見るのも中途半端な時間だったので、福山城を散策することにしました。
福山城は元和5年(1619)に水野勝成によって築城されました。久松城、葦陽(いよう)城とも呼ばれ、近世城郭では一番最後に造られた、つまり一番新しいお城です。しかも、駅から一番近いお城です。(前の記事にも書きましたが、福山駅自体が元のお城の敷地内にあります)
以後、水野氏5代、松平氏1代、阿部氏10代に渡って藩政の中心となりました。
明治6年に廃城となり、天守閣、伏見櫓、筋鉄御門、御湯殿を除いてほとんどが取り壊され、昭和20年に戦災で天守閣と御湯殿も焼失しました。現在の天守閣は昭和41年に再建されたものだそうです。しかし、築城当時の姿を再現したものではなく、美的な外観を重視した鉄筋コンクリート建ての建物なので「復原」ではなく、「復興」と言うそうです。
2009.10 福山 031伏見櫓

重要文化財です。
伏見城から移築されました。
他にも撮ったと思ったのに、カメラの電池が切れてバタバタしていたからか、なぜかこの角度の写真しかカメラに入っていませんでした(汗)












2009.10 福山 028 筋鉄(すじがね)御門

こちらも伏見城から移築したと伝えられています。
柱の角に筋鉄を施し、扉に12条の筋鉄が打ちつけられていることから、この名前がつけられました。
同じく重要文化財。








2009.10 福山 026鐘楼

築城当時からあるのですが、明治以降荒廃が激しくて度々補修工事を繰り返すうちに全く原形をとどめないものになってしまい、昭和54年に現在の姿に修復され、市の重要文化財に指定されたそうです。
現在はソーラーパネルが取り付けられ、1日4回定刻に鐘が鳴るそうです。









2009.10 福山 079 2009.10 福山 053
御湯殿

こちらも復原されたもの。
この日は城見茶会が催されていて、近くまで行けませんでした。
右は二の丸側から見た御湯殿。
石垣からかなり張り出しています。


2009.10 福山 041 2009.10 福山 046
水野勝成像(左)&阿部正弘像(右)

福山藩初代藩主・水野勝成さんと阿部家7代目藩主・阿部正弘さんの像です。
阿部伊勢守正弘さんは弱冠25歳で老中になりました。ペリー来航時は老中筆頭で、市井にまで広く意見を募り、勝海舟や永井尚志、江川英龍など大胆な人材を登用。榎本さんが学んだ長崎海軍伝習所も、この阿部正弘が創設しました。
1854年、日米和親条約を締結。内憂外患の心労が祟ったせいか、39歳という若さで亡くなりました。
生涯で国元の福山に入られたのは一度だけだったそうです。
とても美男子であらせられたそうです。この像もとても柔和なお顔立ちです。
阿部正弘さんについてははな。さんのところでいろいろと詳しく面白い話が読めるので、ぜひ行ってみてくださいネ。(他人まかせですみません~)

2009.10 福山 022

博物館である天守入口にはこんな大きな看板が。
この辺りをぶらぶらしていたところ、先ほどのパネルディスカッションをされたお殿様御三方が来られました!そしてこの看板の前で記念撮影。どさくさに紛れて、私もこっそりシャッターを押しちゃいました。
水野勝成のご子孫の方は、なんとなく上の銅像に似ておられる気がしました。
その後、皆さん連れ添って展示の方へ行かれました。


そして、おまけ。
日没までまだ少し時間があったので、ばら公園に行ってみました。
「ばらの町」福山市の市の花はもちろんバラで、町のところどころにバラが植えられています。
10月だと秋バラが見頃かな~と思い、細い道を迷いつつばら公園に行ったのですが…
思ったより花が少なかったです。きっと5月には満開なのでしょうけれど。

2009.10 福山 055

バラを見ながら公園でまったりして、7時半には夕食を終え、お風呂も早めに入ってホテルでくつろぎました。
おぉ!さすが今回の旅行は「ビンボー&のんびり」と銘打つだけあって、久しぶりにゆっくりしたペースで旅行1日目を終えました。






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【2009/10/24 22:15】 | おでかけ・史跡めぐり
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2009.10 福山 244今回の「箱田良助と榎本武揚展」が開催されている博物館のある福山城は、福山駅の真ん前にあります。
というか、福山駅は福山城の三ノ丸や内堀・外堀を埋め立てた跡に建てられたので、駅は旧城内にあるということになります。駅の住所の「福山市三之丸町」という地名にその名残があります。
最近も駅前広場の整備工事中に三ノ丸の遺構が発見され、現在調査中だとか。




2009.10 福山 010展示が開催されてから1週間も経つというのに、(この時点で)福山城博物館のサイトが全く更新されず、記念講演とパネルディスカッションも歴史博物館のサイトにまったく情報がアップされなかったので、ちゃんと人が集まるのだろうかとちょっと心配していたのですが、、福山に着いてみれば、あちこちにポスターや立て看板がありました。
(その後帰阪してから再度サイトを確認したところ、ちゃんと更新されて特別展の詳細がアップされていて安心したのですが、とんでもない誤字が…汗)
(※その後、訂正されました)







2009.10 福山 014記念講演の会場は福山城のお隣の広島県立歴史博物館でした。
講演会の聴講だけなら入場無料なのですが、開演時間まで少しあったので博物館の展示を見ることにしました。
この博物館は主に芦田川周辺から出土した鎌倉~室町期の集落・草戸千軒町の遺跡がメインで常設展示されています。
集落を実物大で復元した展示コーナーもあり、実際に集落を歩いて、家の中に入ることもできます。
映画のセットの中を歩いている感じで面白かったです。


福山城博物館 秋季特別展記念講演
 「榎本武揚の実像 ~父 圓兵衛と生い立ちから幕末まで」

2009.10 福山 019会場の博物館地下講堂はおよそ300人くらいのキャパシティでしたが、満席で補助席も出る大盛況でした。
講師は榎本武揚子孫・榎本隆充先生です。
喉を痛められたとかで、「本当は美声なんですが」と少しハスキーなお声でご登場。

講演の内容はまず武揚さんの父・圓兵衛さんの概略。伊能忠敬について江戸に出て内弟子筆頭となったこと。大日本沿開海與地図は忠敬が亡くなって3年後に幕府に提出したので、忠敬死後の3年間は圓兵衛が中心になって完成させたのだろうということ。のちは幕臣になって、天文方、御徒士目付、勘定方などを務めた事などのお話でした。
そしてメインは「榎本武揚の実像」で、武揚さんの生い立ち、長崎海軍伝習所、系図の話、戊辰戦争、獄中時代についてなどなど、内容は小樽での同題の講演と重なる内容がいくつかありました。

福山に関連した話として、箱館戦争時、新政府軍の兵士が捕虜となり怪我をしていたので、博愛精神のもと治療して返してやった中に福山藩士がいた、という話をされました。
あと興味深かったのは、電気学会や工業学会、気象学会など、多分野に渡って会頭、会長職を務めた武揚さんですが、「彫工会」の会頭を務めていたこともあったそうです。今回も展示されていましたし、小樽や函館でも展示されていた「武揚さん愛用のパイプ」ですが、ご覧になられた方はご存じでしょうが、素晴らしい龍が彫られていましたよね。あのパイプは彫工会の会頭を退任する時、記念にと名人が彫ってくれた物だそうです。
彫工と武揚さん…窯工会の会頭もやっていたようですし、芸術の方面にも詳しくていらっしゃったのでしょうか?


パネルディスカッション 「歴史はめぐる人の縁」
講演会終了後、10分ほどの休憩があり、パネルディスカッション「歴史はめぐる 人の縁(えにし)」に移りました。
壇上にはパネラー榎本隆充氏、水野勝之氏(備後福山藩主水野家20代目ご子孫)、阿部正紘氏(備後福山藩阿部家17代目ご子孫)とコーディネーターに博物館友の会・鐘尾光世氏。
それぞれご先祖の榎本武揚、水野勝成、阿部正弘の写真&肖像画のスライドの前に立たれました。
維新後はお殿様ではなくなったわけですが、名前を拝見すると、水野さんも阿部さんもご先祖の名前の一字を引き継いでおられます。
今回の父子展が企画された時、昨年の没後100年事業から史料などがあちこちに貸し出されており、展示品集めにご苦労されたとのこと。そこで主催者側が福山藩主であった水野家、阿部家に協力して欲しいと相談を持ちかけ、このパネルディスカッションも実現したそうです。

「榎本さんの講演に感動して、言いたいことをすべて忘れました」と仰りながらも、水野さんが「一番早く(ご先祖が)福山に来たので私から」と主導権をとって話を進められました。
それぞれご先祖の話を紹介された後、今回の主役はやはり榎本さんなので、水野家、阿部家と榎本武揚の関係などについて水野さんが話されました。(笑)
水野家と武揚さんのつながりは、ほとんどない(笑)…ま、福山藩水野家と武揚さんは時代がちがいますからね。
阿部家と武揚のつながりは、老中・阿部正弘と武揚が同時代で、阿部正弘は身分に関わらず広く人材を登用したので、長崎海軍伝習所など、武揚が頭角を現してくるのに関わったという話と、戊辰戦争の際、譜代の阿部家・福山藩も時代の波に逆らえず、新政府側について武揚と戦った、というお話でした。ちなみに水野家は結城に転封になり、幕末には家中が勤王と佐幕に二分したそうです。

そこで水野さん、「じゃあ、ここで阿部家と榎本家、握手して仲直りしましょう」と仰って、阿部さんと隆充さんが握手することになりました。
ここからなぜか、握手大会のようになり、水野家は13代・家定の将軍後継争いの際・慶福を推していたそうで、慶喜を推していた阿部家とは対立する立場にあったそうで「あの時は邪魔してゴメンナサイ」と仲直りの握手。
「水野家と榎本家は握手しなくていいの?」との声に、「これはご先祖じゃなくて、最近の話ですが…」と、現在私生活でも水野さんと隆充さんは仲が宜しくていらっしゃるそうなのですが、ジャズがお好きな隆充さんが足を患われた時、どうしてもジャズが演奏されるお店に行かねばならないというので、水野さんが隆充さんを背中に背負われて車から店まで往復された事があったそうです。
世が世なら、一国の藩主が一旗本を背負うなんて考えられませんよね。
「あの時はゴメンナサイ」ってことで水野さんと隆充さん、握手。

さて、ディスカッションのタイトルは「歴史はめぐる人の縁」ということですが、現在御三方とも霞会会員でご親交もあり、意外なところ(東京農大つながり)で縁があるとのこと。
終始水野さんが仕切られ、コーディネーターの方も「私、必要ないみたいですね(笑)」とおっしゃるくらい場を盛り上げて、とても楽しく和やかな雰囲気でパネルディスカッションが終了となりました。

会場には水野家が幕末に家中が二分した際に、責任を負って切腹したという方のご子孫がいらしたり、黒田清隆の玄孫にあたられる方も来られていました。しきりに写真を撮っておられる方がいらっしゃって、最初写真係の方?と思っていたのですが、どうも見覚えが…と思っていたら、小樽の展示でギャラリートークをされた函館博物館の学芸員さんで、後に隆充さんから紹介がありました。

講演会とパネルディスカッションは約2時間で終了。終わった時は15時半で、博物館の閉館時間まで1時間半弱あったのですが、「1時間半じゃ足りないかも」と思い、特別展を観るのは翌日にして、その日は福山城周辺を散策することにしました。

続きます。。。



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【2009/10/18 16:32】 | おでかけ・史跡めぐり
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香音里
榎本先生、一昨年くらいから、かなり精力的に活動されているので、お疲れが出ないようにしていただきたいですね。


はな。
香音里さんこんにちは!
ディスカッションのレポありがとうございました♪♪
榎本さんと福山藩というのは父親の生国というだけでなく、
箱館戦争で戦った相手のひとりという浅からぬ縁があるので
当地で榎本家の特別展やディスカッションが開催されたというのは
なんとも素敵なことですネ☆

ところで質問でーすっ。
榎本父子特別展示は博物館の1階と2階を使用なのでしょうか?
もし行くとしたら2階の阿部家常設展示(正弘さんの書とか)も
すんごく楽しみにしていたので(爆笑)、それは今回は3階にでも
追いやられてしまったのでしょうか(笑)??


香音里
はな。さん、こんばんは。

ご質問の件ですが、榎本父子展は博物館1階が圓兵衛さん、2階が釜さん関係の展示でした。
そういえば、2階で常設されているはずの阿部家関係の展示は…あれっ?
1、2階で集中していたせいか、3階はボーっと見ていて、水野家関係は記憶があるのですが、阿部家資料の記憶が…。
ただ、「藩主関係の資料ってこれだけ?」って思った記憶があります。展示スペースはさほど広くなかったです。
え、でも何見てたんだろう?ほんの1週間前だというのに忘れてる…本当に役立たずで申し訳ありません(汗)
あと、歴史博物館といい、やたら陶器類の出土品史料が多かったです(笑)


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