和魂凡才 2006年05月
和魂洋才の人・榎本武揚を主に、幕末関係の話や本の紹介をする凡才人のブログです
幕末大全 (下巻)


幕末大全 (下巻)
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松浦 玲 田中 彰 青山 忠正
学研 (2004/03)
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今日たまたま古本屋さんで見つけた本です。榎本さんの写真といえば、箱館戦争の後、外国人がお土産としてよく買って行ったと言われている、八の字ヒゲのおでこの広い写真が有名ですが、この本には他に5枚のエノ写真が掲載されています。1枚は箱館での荒井さんや松岡さんと一緒に写っている写真。若い時の写真、オランダ留学時代の和装の写真と、洋装の留学生の集合写真。そしてもう1枚は…明治初年代に撮影されたらしいパーマ頭(?)のエノ。しかも袖に飾りのたくさんついた軍服を着て、胸をはだけさせています(^^;
実はこの写真を見るのは2度目。確か同じく学研の「幕末志士199」と言う本にも載っていて、あまりの衝撃に「おぉっ!」っと思った記憶が…。

若い頃のエノはけっこう二枚目さんです。いえ、歳とってからのおヒゲの写真もとてもダンディなのですが。留学時代って27~32歳くらいで、箱館戦争時が33歳。そんなに年数がたってないというのに、ヒゲ生やして髪型変えたら、とたんにオッサンになってます~。
後年エノが宮中に参内した時、女官がエノが二枚目さんなので一目見ようと、わらわらと集まってきたというエピソードがあるとか。



この本、他にも剣道着姿の高杉晋作の写真や、若き日の伊藤俊輔(博文)の「どこ見てンねん?」写真も載っていて、けっこう面白いです。


【2006/05/30 01:24】 | 榎本さん関係
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幕末二万マイル
幕末二万マイル
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まさき ひろ
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戊辰戦争+「海底二万マイル」という、幕末~明治を背景にした歴史SF小説。
私はSFというジャンルには、ほとんど知識がありません。「海底二万マイル」のタイトルぐらいは知っていますが、潜水艦の名前が「ノーチラス号」で艦長の名前が「ネモ」というのは、実は演劇集団キャラメルボックスの舞台「さよならノーチラス号」からの知識という程度。

プロローグはすでに明治の世。「私」と「たつさん」が星を見上げて話しています。多津さんは榎本さんの奥さんの名で、2人は一緒に暮らしています。たつが言います。「榎本は…今頃どうしているでしょうねぇ。」…ってことは「私」は榎本さんではないわけです。そして「地上に暮らす我々には、それを知る術がなかった。」という意味深な言葉。
「私」とは、この作品の語り手・沢太郎左衛門。物語は三部構成になっています。
沢と榎本はオランダ留学を終え、開陽丸で日本へ向かう途中に謎の物体と衝突し、海に落ちます。2人は潜水艦ノーチラス号に助けられ、ネモ船長と親しくなります。しばらくの間、潜水艦で生活し海底散歩などを楽しんだ二人でしたが、日本の情勢を憂い、日本に帰して欲しいと頼みます。が、悲しい過去から、社会と絶縁するためにこの潜水艦を作ったというネモは、その頼みを断ります。
「頼んでダメなら勝手に逃げるまでさ」と、2人は船の乗っ取りを計画。「それがムリなら発電機を壊す」と脅す榎本。脅しかと思ったらホントに壊してしまうエノ…。あやうく沈没するところでした。「絶対にこの艦のことは口外しない」と約束し、2人は日本に帰国させてもらう事に。

2人は無事に日本に帰れますが、やがて戊辰戦争に。そこでアメリカの艦船の船長から、ノーチラス号が沈没したという話を聞きます。
戦争終結後、沢と榎本は辰の口の牢獄に入れられるのですが、沢はそこで密かに記憶をたよりに、ノーチラス号の設計図を描きます。

時は流れ、明治24年。沢は海軍兵学校の教授を退官。海軍で新型艦建造の話があり、数年前に描いた沢の潜水艦の設計図が日の目を見ることに。
その艦長である桜木大佐は、日清戦争後の他国の干渉を不満とし、白人の帝国主義と戦うため、艦を分捕って脱走します。
沈没したと思われていたノーチラス号は実は無事で、故障した所を桜木たちに助けられたのですが、ネモはそのまま監禁されていました。
それを知った沢と榎本は、他のネモと親しい中間達と共に助けに行く事に。
さぁ、ネモ、そして沢・榎本の運命やいかに…。

古典SF小説に幕末の実在の人物を絡めるというのは、奇想天外で面白いと思いますが、その人物に沢と榎本を選んだのに、彼らが一番名を馳せた戊辰戦争にノーチラス号を関わらせないというのが、ちょっと物足りないかな?
歴史的事実は変えられないし、ネモは社会との関係を絶ちたがっているので、当然といえば当然なのですが。

ラストはいまいちはっきりしない終わり方になっています。結局榎本は死んだのか、生きて沢とたつが見上げている星空のかなたにいるのか(?)…。文中に「この世には科学だけでは説明できないものもたくさんあるんだよ」という台詞が出てくるのですが、このラストは確かに説明できない(笑)

参考文献の頁に軍艦関係の資料の他に「榎本武揚に関してはかなりの文献を参考にさせていただきました。」とだけあって、詳しくは書かれて無いのですが…加茂儀一氏の「榎本武揚」を参考にしましたね?蝦夷共和国のところで荒井さんが軍艦奉行、土方さんが海軍奉行になってますよ~。戊辰戦争に関してはSF小説の割にちゃんと書いていたので、この辺りの事情に詳しい人だと思っていたら、あらら?

あと、気になったのが落丁?でしょうか、第二部「ボシン・ウォーズ」の最後の2ページが全く繋がっていません。ページの数字は続きの数字で飛んでいないのですが、明らかに文章が何行か抜けています。大勢に影響はないようなんでかまわないんですが、これって出版社に言ったら交換してくれるんですかね?でも、どうやら自費出版っぽいので、再版されるのかどうか…。

さて、この作品の榎本さんは…肝っ玉のすわった人物です。ノーチラス号の乗っ取りを計画し、機関室に立て篭もって詩吟を唸ってるし、海底散歩はするし、錠前破りはするし…。流星刀を抜くエノも見れますよ~。


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【2006/05/19 00:48】 | 榎本さん本
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井黒弥太郎氏の「榎本武揚」を読んでいるうちに、やはり「榎本武揚未公開書簡集」が欲しいなぁ、と思う今日この頃。古本で安く出てないかしらと検索中、やまざきはじめさんのところの「監察の取調日記」で素敵なバトンを発見。勝手に拝借して来ました。バトンってやるのはじめて。

「榎本武揚に関するバトン」

パソコン又は本棚に入っている『榎本武揚』に関する物は?
パソコン・・・榎本さん(&土方さん)に関する本の紹介のためのブログ、別宅「二兎亭」

本棚・・・佐々木譲「武揚伝」、加茂儀一「榎本武揚」、井黒弥太郎「榎本武揚」、童門冬二「小説榎本武揚」、安部公房「榎本武揚」、満坂太郎「榎本武揚」、東秀紀「陽が開くとき」、子母澤寛「行きゆきて峠あり」、秋岡伸彦「ドキュメント榎本武揚」、他いろいろ。

今、妄想している『榎本武揚』に関する事は?
黒田清隆との関係・・・いえいえ、友情。かつての敵同士だった二人ですが、箱館戦争降伏後の二人は黒田あっての榎本、榎本あっての黒田。(←井黒氏の影響、大)子供同士を結婚させてますし、黒田の葬儀委員長を榎本が務めています。それほどまで惚れ込むって・・・?

最初に出会った『榎本武揚』は?
安部公房「榎本武揚」の榎本さん。もともと土方さん好きなので、実は最初あまり良くないイメージでした。

特別な思い入れのある『榎本武揚』に関する物は?
佐々木譲「武揚伝」、加茂儀一「榎本武揚」、ビデオ(DVD)「五稜郭」
以上、榎本さんを好きになる3点セット。

『榎本武揚』についてどう思いますか?
波瀾万丈の人生を送った人。行動力があり、皆に「ついて行こう」と思わせるだけの大きな器を持った人で、敵将にも「助けたい」と思わせる、人を惹きつける魅力を持った人。もっと評価されていい人物だと思います。

『榎本武揚』の良い所は?
とにかく、勤勉。研究熱心。家族思いで情に厚い。和魂洋才。西洋の知識や技術に詳しいのに、ちゃんとサムライの心も持っているところ。

『榎本武揚』の悪い所は?
口。江戸っ子特有の口の悪さ。 助命嘆願に奔走してもらってるというのに、家族宛の手紙で福沢諭吉の事もケチョンケチョンに言ってます。(^^; そんなだから「痩我慢の説」で糾弾されるんだよ~~~。

『榎本武揚』に一言
「江戸っ子だねぇ」

『榎本武揚』というお題を出された事についてどう思われますか?
「榎本武揚」がお題になることがすごい!大河ドラマの影響でしょうか。

最後にバトンを渡したい5人とそれぞれのお題は?

あんまり訪れてくれる方がいないブログなんで・・・。
畏れ多いけど、やっぱり「土方さん」とか?

ありがとうございました。

【2006/05/12 11:37】 | 榎本さん関係
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陽が開くとき―幕末オランダ留学生伝
東 秀紀
日本放送出版協会 (2005/12)

幕末に榎本武揚、沢太郎左衛門らと共に職方としてオランダに留学した中島兼吉を主人公に、留学生達がどのような使命感と誇りを持ち、日本の近代化に貢献したか、また真の近代化とは何かを問いかける作品です。


とても興味深い作品でした。
幕末のオランダ留学生と言えば、榎本武揚、沢太郎左衛門、西周などが有名ですが、そういう士分、学者たちと一緒に「職方」と言われる職人達も一緒に留学しました。主人公の越後高田藩士中島兼吉は、武士なのに幕臣でなかったために職方として扱われ、当時はまだ身分制度が強かったので、それがコンプレックスになったり、嫉みの原因になったりします。

留学生たちは「欧米の文明を学び、国を守るための法や技術を学んで習得する」という使命感のもと、勉学に励みます。その精力的な勤勉さと行動力には脱帽します。まったく知らない異国の土地で、一緒に下宿していてはオランダ語を覚えないからと、それぞれ別の下宿に住み、それぞれ専門の工場で実習しながら知識や技術を習得してゆきます。特に榎本の行動力といったら、プロシアとデンマークの戦争を観戦するのに、オランダ士官と交渉して費用を出させたりしてます。彼の明治での外交の才能はこの頃に培われていたのでしょうか(笑)
兼吉はクルップ社(開陽に積んでた大砲はクルップ社製)の工場を訪れた時、その技術と「技術により祖国の統一を目指す」というクルップの言葉に感銘し、「日本のクルップになろう」と決意します。

しかし、何もかもが上手くいったわけではなく、異国にありながらも身分による確執があったり、精神的にも肉体的にも疲れ、酒に溺れた挙句に体を壊して亡くなった留学生もいます。兼吉は日本に妻子がありながら、下宿先の未亡人サーラと恋に落ちて子供までできてしまい、オランダに残るか日本に帰るか悩み、またそのことで「腹を切れ」と言われます。結局、兼吉はサーラと子供に心を残しながらも、自分がオランダに来た目的と「日本のクルップになる」という目標のため、日本に帰る決意をします。
帰国すると、幕府は瓦解寸前。榎本や沢たちは開陽丸に乗り、新政府に抵抗。しかし幕臣でない兼吉は「政府や官ではなく、民間の力で近代化を成し遂げてみたい」と榎本の誘いを断ります。

そして40年の月日が流れ、兼吉は子爵となった榎本の許を訪れ語り合います。兼吉は維新後、新政府に出仕し大阪砲兵工廠の建設に参加、その後退職して中島鉄工所を始め、軍関係の技術開発に協力します。功はすべて薩長閥や軍人のものとされ、報いられる事が少なかった兼吉や榎本。しかし、彼らが望んだものは個人の栄達ではなく、ただ、ただ列強の国々に負けない国にするためにオランダで学んだ知識や技術を役立てようという事でした。
そして兼吉は言います。「ロシアに勝って、日本は近代国家に成長した事を世界に示した。これからは文化や芸術の時代ではないか。表面的な近代化は果たしても、内面が空虚なままでは心は満たされない」と。それは40年前、サーラに言われた言葉でもあります。大急ぎで海外の技術を取り入れてきた日本。そのことだけに精一杯だった。真の近代化はこれからだ、心の面でも近代化する時なのだと。
それはエピローグで語られる、兼吉の孫娘で、歌を歌っている柳兼子さんの話に繋がって行きます。

さて、この作品中の榎本さんですが、気さくで身分に拘らず、決断力、行動力があってとても頼れる留学生のリーダー的存在です。船が座礁した時、真っ先に褌姿で手伝いに行くし、オランダで珍妙な姿を笑われ、断髪したいけれど「万事御国風」の誓いをさせられていたので、お咎めがあってはと皆が心配する中、「なあに、その時は俺が責任をとって腹を切るよ」と飄々としてるし。常に、兼吉のことを気にかけてやってます。いや~、もう惚れてしまいます。

タイトルの「陽が開くとき」というのは、もちろんオランダ留学生たちの研鑽の象徴とも言うべき軍艦「開陽丸」からでしょう。開陽丸のオランダ名「フォール リヒター」は、『夜明け前』という意味です。近代化という日本の夜明けのための礎となった彼らにふさわしい名前だと思います。









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【2006/05/08 03:48】 | 榎本さん本
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ブラックな榎本さんの事ではありません。念のため。

井黒弥太郎氏の「榎本武揚」を読み始めました。
この方、もともと黒田清隆の研究をされていた方のようですが、黒田を語るには榎本の存在は欠かせない、という事で榎本武揚についても調べて書にされたそうです。

いや~、独特の語り口調で面白いです。この方にかかれば伊藤博文は「テロリスト」、黒田は「ゲリラ」扱いです。黒田と榎本を略して「黒榎」って書いてます。この略し方は…。なんか腐女子っぽいです(^^;釜次郎を「釜」って略してますし。いや、「カマ」っていうのは私も言いますけどね、親しみを込めて。

榎本さんの事を調べはじめると、いろんな事に興味を持ってしまいます。長崎海軍伝習所とか、オランダ留学生の事とか。黒田清隆にもちょっと興味が湧いて来ました。
黒田清隆はご存知、箱館戦争の時の官軍の陸軍参謀で、五稜郭の攻撃前に榎本が「灰にするのは惜しい書だから」と海律全書を送ったのに感激し、「男として惚れ申した」と戦後、頭を丸めて榎本の助命を嘆願し、西郷を説得したという人。
維新後、北海道の開拓使として榎本らを起用して北海道の開拓事業に従事します。「二君に仕える」ことよしとせず、新政府への出仕を渋っていた榎本さんを熱心に説得し、榎本も命の恩人の頼みを断れずに出仕する事になります。
またロシア千島・樺太交換条約を締結する際に、榎本を全権公使に推薦したりと、とにかく、戦後の榎本の人生は黒田なしには語れません。

黒田は後、二代目の内閣総理大臣になるのですが、酒癖が悪く、酔って妻を斬殺したという疑惑があり、条約改正の失敗や官地払い下げの醜聞などで、後年はけっこう孤立していたようです。
そんな中で、昨日の敵は今日の友。黒田と榎本は親交を深め、榎本の長男は黒田の令嬢と結婚し、二人は姻戚になります。
黒田が亡くなった時の葬儀委員長は、榎本さんだったそうです。

2人の関係って、なんかすごいドラマチックですよね。

【2006/05/06 00:10】 | 榎本さん関係
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5月ですね。最近は、大きな鯉のぼりを揚げている家も少なくなりました。
通勤途中に1軒、大きな鯉のぼりが揚がっているお家があります。大きいお父さん鯉、赤いお母さん鯉、子供の鯉、そして吹流し・・・。

  「江戸っ子は皐月の鯉の吹流し 口先ばかりで腸はなし」

榎本さんはチャキチャキの江戸っ子。榎本さんといえば「べらんめぇ」という言葉が思い出されます。
オランダ留学の際、留学生一行が乗っていた船が嵐に遭って座礁。船長に逃げられ、ようやく通りかかった船に助けを求めると、それは海賊船。反対に白刃を抜き、海賊を脅して島まで連れて行かせたのはいいが、そこは無人島。ようやく小舟を見つけて救援を頼むと、翌日、現地人の酋長という人が船を引き連れて助けに来てくれて、九死に一生を得たそうです。

バタビヤに到着し、ホテルに宿泊すると、パイナップルやマンゴーなどの珍しい果物や料理がたくさん出たので、食べ過ぎて下痢をおこし、便所通いをするハメに。それを二階で見ていたオランダ人女性が腹を抱えて笑ったのに憤慨し、「べらんめぇ! 人が腹が下って便所に来るのが何がおかしい!」と怒鳴ったそうです。オランダ人女性はびっくりして、二度と覗かなかったらしいのですが、その後ホテル内で「べらんめぇ」とはどういう意味か、と話題になったそうです。

それにしても、いろんな経験してるなぁ、エノ・・・。

【2006/05/02 02:01】 | 榎本さん関係
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