和魂凡才 2009年02月
和魂洋才の人・榎本武揚を主に、幕末関係の話や本の紹介をする凡才人のブログです
今、ヤフオクに榎本さんの写真が出品されているんですが…→こちら

初めて見た写真なのですが、なんだか今まで見た写真とちょっと雰囲気が違う感じがします。
いつも髭も髪もキチッとセットされているのに、この写真は髪が少し乱れているせいでしょうか、それとも少しふっくらとして丸顔に見えるせいでしょうか?

写真といえば、先日発売されました。

幕末明治の肖像写真幕末明治の肖像写真
(2009/02/10)
石黒 敬章

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バックが白で判りにくくてすみません(^^;
ちょっと今金欠なので買えませんが、本屋さんでパラ読みしました。
榎本さんの写真も5枚ほど載っていました。
今まで学研のムック本でしか見た事がなかった、幻の(?)パーマ頭の写真が載っています。
あまりにいつもの大礼服姿や軍服姿と雰囲気が違うので、別人のように見えるのですが…。
興味のある方はぜひ、買うか借りるか立ち読み(オイ)してみて下さいね。

【2009/02/25 03:26】 | 榎本さん関係
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まやこ
香音里さん、こんばんは。

榎本さんのパーマ頭の写真は、襟にレースがついていて、ボタンがはだけた服を着たものでしょうか?
その写真なら、京都の霊山歴史館で売っている「幕末維新人物地図」に載っていました。
わたしはこれでしか、パーマ頭の写真を見たことがありません。
ボンバーヘッド(笑)の黒田清隆には負けますが、榎本さんもかなりインパクトありますよね。
あのうねうねした髪が本来の髪質なんでしょうか?(笑)


香音里
まやこさん、こんばんは。

>榎本さんのパーマ頭の写真は、襟にレースがついていて、ボタンがはだけた服を着たものでしょうか?

そうです、そうです。
あまりに他の写真と違うので、初めて見た時は本当に榎本さん?と信じられませんでした。
あんなに髪の毛がフサフサしている写真は他にないのでは?でもしっかり分け目はいつもと同じ場所に(笑)

晩年の写真を見るともみあげがくせ毛っぽいので、実は広がらないように普段はなでつけていたりして…。

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ひこにゃん 003


…っていうか、実家が滋賀県の同僚にお願いして買ってきてもらいました。
ひこにゃん、今年のバレンタインデーは186個もチョコレートもらったそうです。

先日「歴史にハマる女たち」が増えていると書きましたが、「まったく歴史に興味がない女たち」もいるわけで。
同僚Mちゃん、このひこにゃんを見て
「せんと君とかまんと君とかいうのもあったけど、あれって去年やんなぁ」と言うので、
「あれは平城遷都1300年のマスコットだから、2010年まで。710(なんと)きれいな平城京って歴史の授業で年号覚えたでしょ」というと、まったく覚えていないという。

私 「1192(いいくに)作ろう…」
M 「平安京!」
私 「鎌倉幕府でしょうが」
M 「鎌倉幕府って源やんなー、源って2人いてるんやろ。義経と頼朝」
ジャニオタなので、ジャニーズのタレントが演じた役については詳しい。

私 「まぁ、もっといるけどさ」
M  「ねぇ、平安京にいた人って誰?」
・・・なんつー質問だ。

私 「藤原道長?」
M  「ちがう、じーちゃん」
・・・ますますわからん。

私 「平清盛?」
M  「それは敵やん」
・・・へぇ、それは知ってるんだ。
M 「違うねん。じーちゃんやねんけどなぁ…」

気、気になる。
平安時代のじーちゃんとは誰のことだーーー?

以前も「新選組の人、名前言っていって」と言われた事があり、
「近藤勇、土方歳三、沖田総司…」
と順番に挙げていくけど、どれも違うと言う。
絶対に知らないと思いつつ、伊東甲子太郎、市村鉄之助の名前まで言ってみたけど、どれも違うと言う。

「お尋ね者の人やねんけど…」
「もしかして、桂小五郎?」
「そう、それ!」
…ま、興味のない人なんて、そんなもんよね。


【2009/02/21 23:59】 | つぶやき
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上野駅からJRに乗って駒込駅で降りました。駒込駅からメトロの本駒込駅方面へ歩きます。

東京・榎本さんを訪ねる旅 185

特別名勝 六義園(りくぎえん)
駒込駅から徒歩5、6分の所にあります。

東京・榎本さんを訪ねる旅 191

六義園は五代将軍・徳川綱吉の信任が厚かった側用人・柳沢吉保の下屋敷に元禄15年、吉保自身が設計、指揮して築園した和歌の趣味を基調とする「回遊式築山泉水」の大名庭園です。
小石川後楽園とともに江戸の二大庭園と言われたそうです。
明治になって岩崎弥太郎の別邸になっていましたが、昭和13年に岩崎家より東京市(都)に寄進されました。
大名庭園といっても、ところどころに茶屋(あずまや)があって、庭園を眺めながら和歌を詠む-といった風流なお庭です。
前日の百花園はこじんまりとしてよい雰囲気でしたが、六義園は大きな池があって、橋があって、丘があってと造りはとても豪華なんだけれど、落ち着いた感じで、しかも広いだけに開放感があって良かったです。今回まわった3つの庭園の中で一番気に入りました。


東京・榎本さんを訪ねる旅 197   東京・榎本さんを訪ねる旅 196
吉祥寺です。
山門には「旃檀林(せんだんりん)」と書かれています。
旃檀林とは江戸時代の禅学と漢学研究の学寮で、駒沢大学の前身だそうです。

東京・榎本さんを訪ねる旅 207

吉祥寺は広いから、先に境内の案内図をもらっておいた方がいいとアドバイスを頂いていたので、まず寺務所に行って尋ねたのですが「ない」との事。
「でも、お墓のところどころには案内板がありますよ、榎本武揚さんとか…。」

はい、それです!

※お墓の写真があります。


東京・榎本さんを訪ねる旅 199

門のある立派なお墓でした。ゆえにお傍までは行けませんでした。
家紋は丸に梅鉢。
右側が榎本さんのお墓で墓碑銘は神式で「海軍中将子爵榎本武揚墓」とあります。
左側が妻の多津さんのお墓。多津さんの方は仏式で「慧鏡院殿皓林珂月大姉」という戒名で書かれています。
百回忌の時に立てられたと思われる卒塔婆に、榎本さんの戒名が書かれていました。
「掣海院殿維揚梁川大居士」
榎本さんらしい戒名です。
しばし瞑目して合掌。
ようやく念願のお墓参りが叶いました。

吉祥寺には他にも著名人のお墓があります。

東京・榎本さんを訪ねる旅 206こちらは榎本さんと一緒にオランダに留学した赤松大三郎さんちのお墓。奥さんの貞さんが多津さんの妹なので、榎本さんとは親戚になります。
後で知ったのですが、吉祥寺には林洞海先生のお墓もあったのですね。

他にも二宮尊徳、鳥居燿蔵、川上眉山、板倉勝静のお墓があります。


境内を散策~。

東京・榎本さんを訪ねる旅 211江戸時代から残る経蔵です。
東京大空襲を逃れました。



八百屋お七と吉三郎の比翼塚
東京・榎本さんを訪ねる旅 212




東京・榎本さんを訪ねる旅 213
大仏様













東京・榎本さんを訪ねる旅 216

山門近くに桜が咲いていました。
暖冬だから咲いちゃったのかと思いましたが、冬桜だそうです。



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【2009/02/17 02:02】 | 榎本さん関係
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ちょっと懐かしい・・・
エノカマ
こんばんは!
僕もこのあたり同じ時期に回ったんですが、ちょっと懐かしく思います(笑)
本駒込界隈は著名な方のお墓も多いんですね。
大阪でも、お墓や石碑めぐりをすることは多いんですが
東京では門扉付きのお墓が多いのが印象的でした。

榎本さんのお墓はもちろん、近くの高林寺の緒方洪庵先生にもお参りしてきました。
「大坂の土になる」と言い固辞しつつも幕府に取り立てられ最後、江戸で亡くなって
お墓もあるのはあまり知られていないようでしたが、行けてよかったです!
また、安井息軒先生もこのあたりで眠られているそうで、都心とは思えない静けさと
空の高さが印象に残ってます。

ちょっと恥ずかしい…
香音里
エノカマさんと同じ頃に東京に行ったんですよねェ…もう3か月経ってしまいました(笑)
本当に書くのが遅くてお恥ずかしいです。

吉祥寺の近くに有名な人のお墓があると聞いていたのですが、それが洪庵先生のだと知ったのは帰って来てからでした(汗)
次に本駒込に行った時には、ぜひ訪れたいと思います。

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チョコレートの写真を載せようと思って、パソコンに取り込む時にどうも失敗したみたいです…XDピクチャーカードのデータが破壊されたっぽい(涙)
大事な写真は全部取り込み済みで、チョコの写真だけだったので、被害はXDカードだけで済んだんだけど。
あぁ、ぼちぼち新しいデジカメが欲しいです。今のはもうすぐ6年目。でかいし、音うるさいし、連続して撮れないし、320万画素だし、XDカードだし…。もともと最新の機種とかには興味がなく、パソコンも携帯も使えるうちは使う方なのですが(使いこなせないからという説もある)。

ってことで写真はありませんが、チョコ、一応榎本さんの分も買いました。お酒の方がいいかと思いましたが、阪急百貨店に小樽のルタオが出店していたので、ルタオのチョコにしました。
どうせ食べるのは私ですけど(笑)


↓のサトウキビをくれた同僚Tさん(以前、「エノモトタケゾウ」なる人物を作り出したオネエさんです)、
知人に「チケットを取るのにPCを貸して欲しい」と言われ、「何のチケット?」と聞いたところ、その知人の方が「言うと絶対引かれるから…」と恥ずかしそうに言ったんだそうです。
そこでTさん、「多少の事じゃ引かないわよ、私の知り合いなんか主婦のくせに芝居に行きまくってる人とか、縁もゆかりもない人のお墓参りに東京まで行ってる人とかいるんだから」と言ったそうです。

もしもしー?それってどっちも私の事じゃないっすか~?

結局その知人の方は、とある声優さんのコンサートのチケット(東京~!)を取りたかったそうです。
いやぁ、ぜーんぜん普通ですよねっ。

先日のテレビのニュース番組で、最近「お墓めぐり」が流行っていると言っていました。「お墓参り」ではなく著名人の「お墓めぐり」

掃苔しましょう―風流と酔狂の墓誌紀行 (集英社新書 434H) (集英社新書 434H)掃苔しましょう―風流と酔狂の墓誌紀行 (集英社新書 434H) (集英社新書 434H)
(2008/03/14)
小栗 結一

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不況で行楽地に行くとお金がかかるので、「お墓めぐり」だとお金がそんなにかからないから、と番組では言っていました。
雑司ヶ谷霊園ではお墓めぐり用の地図を作ったり、広い青山墓地では訪れた人にそこで休憩してもらえるよう、公園として整備しているとか。

「歴史にハマる女たち」が増えてきているそうです。昨年の大河ドラマ「篤姫」でハマったなんて人もちらほら。私が幕末にハマっているのをいつも冷やかな目で見ていた友人でさえ、「鹿児島の篤姫ゆかりの地に行ってみたい」などとのたまっていましたから。

さて、東京レポですが、やっとこさ吉祥寺にたどり着きましたー!
次回!






【2009/02/16 23:55】 | つぶやき
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今日もらった沖縄みやげ。

さて、なんでしょう?

miyage 014


「竹刀が折れたの」ではありません。

とれたての「さとうきび」です。

1.5mほどになるそうです。これはその1/4くらいの長さ。

今沖縄はさとうきびの収穫時期なんだそうです。

包丁で周りの硬い所を竹を割るように割り、硬い部分をむいて、ちゅぱちゅぱ吸うそうです。

沖縄ではもうクーラーをつけていたそうですよ。

北海道では雪まつりをしてたって言うのにね。


【2009/02/12 23:59】 | つぶやき
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NoTitle
朴直
懐かしや、サトウキビ。
朴が、大学生の頃に与那国島と言うところでキビ刈りのバイトしました( ==)トオイメ

琉球と明国との密貿易で、薩摩藩は財力を蓄えたという話もあります。
ちなみに、輸出物は北海道で採れた昆布など。

段々歴史の勉強がしたくなってきたぞ~♪

NoTitle
香音里
おぉー、与那国島!
朴直さん、日本の端から端までご存知なのですねっ。
サトウキビはさぞ懐かしいことでしょう。

琉球と明国の密貿易の品物が北海道の昆布とは、意外でした。薩摩はその頃から北海道の開拓にも目をつけていたんでしょうか。

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思いっきり雑談です。
以前、芝居関係の話はもう一つのブログでしていたのですが、そちらを閉じてしまったので…。

1月末にミュージカル「ラ・カージュ・オ・フォール」を観に行ってきました。
「ラ・カージュ・オ・フォール」はゲイクラブの経営者ジョルジュと看板スターのザザことアルバンのゲイのカップルのお話。アルバンが母親代わりになって育てたジョルジュの息子ジャン・ミッシェルが結婚したいと連れてきた彼女の両親が、保守的で知られる政治家ダンドン議員夫妻だったことから起こるドタバタ劇です。

「ラ・カージュ・オ・フォール」を見るのは市村さんがザザを演じてからなので、今回で3度目。市村ザザが最終公演&鹿賀さんがジョルジュを演じるという事で、こーれはぜひ行かねば!と思っていたのですが…

「ラ・カージュ」でこんなに泣かされるとは思わなかったよ!

今までのラ・カージュは、ちょっとホロリとさせるけど、ザザはじめ個々のキャラクターといい、ゲイクラブのショーといい、楽しい舞台という印象が強かったんです。今回ももちろん楽しかったし、市村さんのザザもチャーミングで素敵だったんだけど、何よりも鹿賀さんが素晴らしかった!!
アルバンへの愛情が歌から台詞からしぐさからひしひしと伝わって来るんです。
特に長年母親代わりとして育ててもらったのに、アルバンを彼女の両親と会う席に出席させないでくれという息子ジャン・ミッシェルを諭す歌「見てごらん」は、ジャン・ミッシェルに対して歌ってるんだけど、そこにアルバンへの愛の深さを感じてしまって泣けたーー!「ラ・カージュ」で何で私こんなに泣いてんのー!?
うーん、やっぱり市村さんとの長年の信頼関係ならではかしら。

旧ブログには書いたことがあったのですが、私のミュージカル好きはこの2人、鹿賀さん「レ・ミゼラブル」、市村さん「オペラ座の怪人」で培われたようなもの。
そしてそれは、巡り巡って幕末好きへも繋がるのです~。

以下、思い出ウザ話が続きます…。


大阪で「レ・ミゼラブル」が上演されると知ったのが○年前の今日、2月11日。それまで全く芝居など観たことのなかった私がなぜか猛烈に「観たい!」と思い、当時にしてはかなり高額の11,000円のチケットを買って観劇しました。それからはシアターゴーアーの道をまっしぐら。お給料はほとんど観劇につぎ込んでました。
当時の「レミゼ」には山本○史君も子役で出演してました。でもあんまり覚えてないんです(^^;数年後に土方さん演じるって解ってたら、もっと注意して見ておくんだった(って、この頃はまだまったく幕末に興味なしでした)
「篤姫」で島津久光さんを演じた山口さんとか、榎本さんを(一応)演じた鈴木綜馬さんとか、(一応)山内容堂役だった今さんとかも「レミゼ」に出演しています。そうそう、「組!」で近藤周平役だった浅利陽介君も子役で出てました。

観劇するのはミュージカルが多かったのですが、小劇場系もよく観に行ってました。生瀬勝久さんも升毅さんも佐々木蔵之介さんも古田新太さんも、当時観ていた人たちはみーんなTVでブレイクしちゃいましたね。特に好きでよく観に行っていたのが加藤健一事務所、三谷幸喜さんの東京サンシャインボーイズ、演劇集団キャラメルボックス。
そのキャラメルボックスの「風を継ぐ者」というお芝居で、新選組にはまってしまったのでした。
そして現在に至る…。

「ラ・カージュ」で鹿賀さんを観たからではないのですが、「レミゼ」がまたすご~く観たくなりまして、3月の名古屋公演に行くことにしました。
名古屋は大阪から日帰りで行ける距離なのですが、せっかくなので一泊して明治村、国宝犬山城、徳川園などに行って来ようと思っています。

…と予定を建てたところに、30年の充電期間中だった東京サンシャインボーイズが、昔のホームグラウンドで、かつ30年後に充電期間が終了した暁に公演をする予定だったシアタートップスが閉館する事になったため、急遽復活するというニュースが!
チケットはすべてネットによる抽選です。かなりの倍率になると思われますが、もし万が一3月末に取れたら…往復夜行バスで東京行きなんて暴挙に出るかも知れません。その時墨堤の桜が咲いていればいいのですが。


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【2009/02/11 01:32】 | つぶやき
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書き始めて1か月近く放置してました。ヤバイヤバイ(汗)
東京・榎本さんを訪ねる旅 1672日目は上野公園からスタートです。
上野公園に行くのも20年ぶり。

ご存じ西郷隆盛像です。高村光雲作。(傍らの犬ツンは後藤貞行作)
1989年12月18日に除幕式が行われました。
除幕式には800人が参列。当時の朝日新聞によると榎本さんも参列したらしいです。
この像を見て西郷未亡人が「うちの人はこんな人ではなかった」と言ったという話は有名です。
顔が似ていなかったのか、それとも浴衣に兵児帯というラフな格好がらしくなかったのか…。
西郷さんは写真嫌いで写真を残さなかったので、今となってはこの銅像の顔が似ているか似ていないかは知る由もありませんが、正直、ここに軍服姿の西郷像を建てないでくれて良かったと思います。だって、隣には彰義隊の墓があるんですもん。


※注意 
 以下、お墓の写真があります。
東京・榎本さんを訪ねる旅 170  東京・榎本さんを訪ねる旅 171

彰義隊の墓です。賊軍として扱われたため、新政府の目をはばかって「戦死之墓」と記されました。
山岡鉄舟の書です。

上野公園内を散策~。
もう、サクサクと行っちゃいます。

東京・榎本さんを訪ねる旅 174   東京・榎本さんを訪ねる旅 178

寛永寺清水観音堂から不忍池の弁天堂をまわって上野東照宮へ向かいました。
不忍池と聞くと「赤い嵐」を思い出してしまう…(覚えてる方いますか?)

東京・榎本さんを訪ねる旅 183 東京・榎本さんを訪ねる旅 179


寛永寺の五重塔を右手に見ながら、石灯籠の並ぶ参道を歩きます。

東京・榎本さんを訪ねる旅 182

上野東照宮の唐門です。
本殿はどうしようかと思ったのですが、あまりゆっくりもして居られないので参拝しませんでした。
今思えば、せっかくだから金箔の本殿を拝んでくれば良かったです。

旧因州池田屋敷表門につきあたり、国立科学博物館のマッコウクジラを見上げながら寛永寺輪王殿前に出ました。最初、鶯谷まで歩こうと思っていたのですが、思ったより上野公園が広かったので、あっさり諦めて上野駅に戻りました(笑)

次はいよいよ榎本さんのお墓へ。


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【2009/02/09 00:25】 | 榎本さん関係
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rms053.jpgディアゴスティーニのビジュアルマガジン
週刊「歴史のミステリー」No.53 
 「榎本武揚はなぜ箱館戦争を起こしたか」


もうそろそろ、こちらの分冊雑誌にも登場するかも、とサイトを調べたところ、ちょうど先週発売されていました。最近こんな雑誌ばかり買ってる気がする…。
榎本さん&箱館戦争に関する記事は8ページほどだったので、立ち読みで済まそうかと思いましたが、他にも天草四郎とか平家落人伝説とか興味のありそうな記事も載っていたので買っちゃいました。
「なぜ箱館戦争を起こしたか」という表現に少々違和感を感じましたが…。

内容は箱館戦争についての通説とそれについての検証です。
「榎本武揚とはどうのような人物だったのか?」「鳥羽・伏見の戦いの敗北後の旧幕軍の動きは?」「箱館上陸の目的はなんだったのか?」「蝦夷共和国をめぐる諸外国の反応は?」「榎本軍はなぜ戦いに敗れたのか?」について書かれています。
拙ブログにお越しの方なら「ミステリー」でも何でもないような内容でしたが、ちょっと気になったのは「検証」する際に、史料から読み解くのではなく、「時代考証家の○○氏はこう述べている」「歴史学者の△△氏はこう記述している」といった書き方が多いこと。いろんな研究者の意見の寄せ集めてます、みたいな感じ。

もうひとつ。
榎本さんのきっぷの良さ、鷹揚な性格を表わすエピソードとして、幼少時代にもらった菓子を自分は少しだけ食べ、あとは友達にわけてやったという「榎本武揚子」で紹介されていた話と共に、青年時代に「路上で町人から差していた刀を所望され、何のためらいもなく渡してしまい、周囲の者に「武士の魂を渡してしまうとは」と非難されたので、「くれというから、やってしまった」と臆することなく答えた」とのエピソードが載っていました。
私は初めて聞いた話なのですが、出典は何なのでしょう…?
追剥に遭った際に大喝して追い払い、追剥が落としていった刀を道具屋に売って酒を飲みに行った(またそれかよ^^;)、という真反対のような話は聞いたことがありますが(笑)

さすがに武士が町人に簡単に差料をあげるのはまずいんでないかい?
いくら榎本さんが鷹揚でも、それはないような気がします。
幕末に写された榎本さんの写真って、必ず刀を持ってるんですよね。いや、武士ならそれが当然なのかもしれませんが。晩年にも流星刀作ったりしてるし、西洋かぶれのように見えて、実はすごく武士の魂である刀にこだわっていたのかも知れません。(晩年の榎本さんはむしろ、とっても和の人に思えます。)
それに、「青年時代」というのが幾つくらいの時かは解りませんが、部屋住みの身分で、そうそう簡単に差料を人にあげるなんてできないと思うのですが…。

同じディアゴスティーニの雑誌でも、週刊「日本の100人」はけっこう読み応えがありましたが、こちらは1冊の雑誌に中にいくつかのテーマが入っているので、1つ1つにはあまり深く踏み込んでない感じがしました。


【追記】
上に書いた刀を町人にあげた話ですが、「現代視点 榎本武揚」に載っていました。
朝比奈知泉の「明治功臣録」(大正6年刊)に書かれているそうです。
6,7歳の頃、鍋兄ちゃんと一緒に昌平黌に行く途中の事だそうです。
なんか、うまい事だまされて渡しちゃったような気が…。
鍋兄ちゃんも止めてあげようよ(--;



【2009/02/08 12:08】 | 榎本さん本
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今日5日から「さっぽろ雪まつり」が始まりました。

大通会場5丁目の雪像は「箱館奉行所庁舎」の大氷像です。
平成22年の復元完成の前に、氷の像でお目見えです。

こちらに写真が出ています → さっぽろ雪まつり公式サイト

そして明日6日からは小樽で「雪あかりの路」が始まります。

雪の北海道もぜひ一度行ってみたいです。

【2009/02/05 23:59】 | つぶやき
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以前は大雪像でしたね。
高松飛鳥
何年か前に、『土方歳三と箱館奉行所』という大雪像がありましたよね!

その時は見に行きましたが…今回は行けそうにないです(泣)

写真で我慢します。

NoTitle
M子
「さっぽろ雪祭り」って5日からだったんですか?
知らなかった~ 地元はこんなもんです。
しかも 「箱館奉行所庁舎」 があったとは! 
これは絶対行かなくちゃ。
いつものことながら、情報ありがとうございます。
小樽のことばかり考えてました。

>高松飛鳥様
香音里
そうそう、以前にもありましたね。
一度は行ってみたいと思いながら、やはり冬の北海道に行くのは勇気が要ります(飛行機が飛ぶのかとか…)。
私も写真で我慢です(笑)

>M子様
香音里
札幌も小樽も、「ちょっとお出かけ」な距離で行けるとはうらやましい!
ぜひ箱館奉行所庁舎見て来てくださいネ。
来年、復元された暁にはぜひ五稜郭に行きたいと思います。
小樽も楽しんで来てください。

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先週末少し暖かかったので油断したのでしょうか、鼻風邪をひいてしまいました…。

以前、mixiでマイミクさんが「弊風一斑 畜妾の実例」という本を紹介して下さっていて、「機会があれば読もう」と思いながらそのまま失念していたのですが、先日ネット検索中にこの本が電子書籍の「立ち読み」で無料でダウンロードできると知りました。
で、ダウンロードしたのですが・・・「立ち読み」なので無料で読めるのは24ページ分。そこには榎本さんの話は載っていませんでした。
ぜひとも読みたい!という類の本ではないものの、読めないとなると何がなんでも読みたくなるのが人の常。図書館に行くか、古書を探すか、電子書籍を購入するか・・・と思っていたところ、なんと偶然にもicewine5さんのところである本を紹介されていて、そこに載っていたというではないですか。
おかげで、お金を使わなくてすみました(オイ)
icewine5様、感謝です(^^)

「弊風一斑 畜妾の実例」という本は黒岩涙香著で、「明治の異色の日刊紙「万朝報」明治31年7月7日から9月27日まで連載された「弊風一斑 蓄妾の実例」510例を収録したものである。当時、男子の玩弄であった妾に対して、同情を披瀝し、妾を持つ男子に反省を促したもの(BOOKデータベース)」です。

で、榎本さんについては
 

「子爵榎本武揚は向嶋須崎町の自邸に木村かく(30)松崎まさ(29)という二人の妾あり。いずれも夫人存生の頃より女中に来たりしものなり。」 


と書かれてあるそうです。

Σ(゚д゚lll)マジですか?

いえ、当時のお偉いさん方は、妾の一人や二人くらい居て当然なのでしょう。
「武揚伝」、加茂先生の「榎本武揚」で榎本さんにはまり、多津さんとの書簡を読んでいる私としましては「女に堅い」「愛妻家」のイメージが強いため、勝手に理想化しているのも認めます。

がっ!

多津さんが存生中からこの二人(同時に?)がいたという事が問題なのですっ!

この書き方だと、多津さんが存生中から二人ともお妾さんだったのか、多津さん存生中は女中として雇っていたのが、明治26年に多津さんが亡くなって、男やもめの寂しさから手をつけちゃたのか、イマイチ判断しかねますが、もし前者だとすると、妻妾同居…まさに「華麗なる一族」ではありませぬか~。(または「非婚同盟」?)

もしこの記事が事実だとしても、書かれたのは明治31年だし、場所も榎本さんが晩年を過ごした向島須崎町だという事なので、多津さんが亡くなった後のことと思いたいです。

ところで、愛妻家のイメージが強い榎本さんですが、実は箱館戦争中、戦後にも愛人がいた説があります。
そのひとつとして、子母澤寛さんの「行きゆきて峠あり」に、榎本さんが戦後の入獄中に病気になって仮出獄して療養していた先で、身の回りの世話をしていた娘が榎本さんの子を産んだという話があります。
子母澤寛さんといえば、聞き書きのような形で文を書かれる方で、有名な「新選組始末記」も聞き語りだと思っていたら実は創作だったというので、この「行きゆきて峠あり」もおおいに創作の部分があるとは思います。
ただ気になるのは、この話を書く前に「榎本は女に堅いと折り紙をつけられた加茂先生に妙に楯をつくようで悪いけれども、作者はも一つ(この話以外にも榎本さんの愛人の話を書いています)女の事を書かせて貰いましょう。」と、わざわざ榎本さんの伝記を書いた加茂儀一さんの名前を出している事です。
当時、榎本研究の大家であった加茂先生に対してこんな風に書くという事は、よほど有力な情報源があったのでしょうかー?

多津さんファンでもある私は、榎本さんに愛人またはお妾さんがいたかも知れない説は多少ショックではありましたが、多津さんとの手紙を見ていると、不仲であったとは思えませんし、公務で外国に赴任していても、留守宅を任せておけるのはやはり多津さんしかいなかったと思うし、頼りにしていたんだと思います。
っつーか、隠居するまで浮気するヒマあったのか、釜さん?










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【2009/02/03 20:00】 | 榎本さん関係
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管理人のみ閲覧できます
-


>非公開コメント様
香音里
コメントありがとうございました。
こちらこそ、昨年は楽しませていただき、ありがとうございました。
なるほど、仰る通りかもしれません。旧幕臣のために奔走した榎本さんなら、十分考えられます。
もしそうだとしたら、また榎本さんの株が上がっちゃうじゃないですか~。

「行きゆきて峠あり」は創作の中に聞き語りっぽい部分が混じっていて、正直ちょっと読みにくかったです。榎本さんで始まった話が、気がつけば永井様が一番カッコよかったり(笑)

NoTitle
Aki_1031
香音里さん、こんにちは。
確か箱館に程近いところ(七重浜よりも北だった気が…ウロ覚え)に
釜ちゃん愛妾の家が今も現存していますよ(笑)。
真実かどうかは定かではありませんが。


>Aki様
香音里
Akiさん、こんばんは。
その後調べていたら、榎本さんの妾宅については、あるゆさんの所で以前話題になった事があったみたいですね。

そうかぁ。やっぱり箱館戦争時、いたのかも…。
ところでその現存している家は、もしかして「榎本武揚の愛妾宅」ってことで保存されているのでしょうかー?
「…といわれている」とかいう言い伝えの話なら、榎本対馬さんの可能性もあるかも、ですよね。
釜さんが新政府の大臣時代、「父親に会いに来た」と釜さんを訪ねてきた女性がいて、実は同じ榎本でも対馬さんだったって話もあるみたいですし…。(と対馬さんに疑惑をなすりつけてみる)

榎本さんって、意外とお妾さんいた説、多い人だったんだ(^^;



NoTitle
はな。
香音里さん、おはようございます☆
とうとう具体的な名前まで登場しましたのですね??(笑)
釜さん、黙っていてもモテそうなので・・・・正直、お妾サンが
いないというのはどうだろうか、と思っておりました(爆)。
江戸の旗本屋敷なら、本妻さんとお妾さんが同居というのは
アリなのですが、
幕末ころになると大名でさえ新しいお妾をつくるとなるとたいへん
だったみたいなので(正室さんに遠慮して(爆))、
明治になったら、どんなものだったのでしょうか(笑)。
榎本家は江戸の遺風そのまま(思えば勝さん宅もそうですし)で、
妻妾同居OKだったのかもしれません。
多津さまは相当にサバけたお人のようですし、
釜さんは「愛妻家」だけど、ほかにカノジョができちゃったことを
隠せないタイプぽいので(爆)、
いい意味で夫婦間に内緒事がなさそうな円満家庭という気がします。
でもそれって15歳ぐらいも年下の妻に甘えすぎ??(笑)かもですが。

楽しい情報ありがとうございました♪


NoTitle
香音里
はな。さん、こんばんは。
この本(当時は新聞の掲載記事)、名前だけでなく住所まで載せられちゃってる方もいます(^^;

確かに榎本さん、黙っててもモテたでしょうね~。
お妾さんの所に入り浸りってのは許せませんが、「お妾さんはいるけど、愛妻家」ってのはまぁ許せるような気がします。。。

多津さんも、榎本さんと結婚してからずっと怒涛の人生を送った方なので、多少のことでは動じなかったかも。「お妾さんが怖くて榎本武揚の妻が務まりますか」みたいな(笑)
はな。さんがおっしゃる通り、釜さんの方が15歳年下の奥さんに甘えていたかも知れません。

でも、たとえ多津さんがOKでも、妻妾同居は観月お姉さまがお許しにならないような気がします(笑)



NoTitle
まやこ
香音里さん、こんばんは。

昨日、知人と谷中墓地と円通寺に行ったんですが、その折に釜さんのお妾さんの話題が出ました。
香音里さんが記事にされている他に、釜さんには多津さんの生存中からお妾さんがいたそうです(爆)
そのお妾さんは(東京の)京橋の芸者?で、外に囲っていたそうです。
知人によると、妾を持った男性は妾だけでなく妾の親族(親や兄弟姉妹)の生活の面倒を見たそうです。
釜さんは生活に窮乏している旧幕臣の世話をしたと聞きますので、もしかしたら妾にした女性は旧幕臣の娘や親族なのかもしれません。
伝聞ばかりの内容で失礼しました…

NoTitle
香音里
まやこさん、こんばんは。
「女性に堅い」イメージが強かった釜さん、まぁ次から次にお妾さん疑惑が出てくること!(笑)

>釜さんは生活に窮乏している旧幕臣の世話をしたと聞きますので、もしかしたら妾にした女性は旧幕臣の娘や親族なのかもしれません。

実は非公開コメント様からも同様のお話をお聞きしました。
榎本さんなら十分考えられますね。
もし「お妾さん」とは名ばかりで金銭面の面倒だけ見てあげてたのだとしても、たとえ多津さんがすべて了承していたとしても、ファンとしてはできれば外に囲っていて欲しいものです(^^;



NoTitle
icewine5
香音里さん、こんばんは。

名前を出していただいていたのに、コメントがすっかり遅くなってしまい、失礼いたしました。

榎本さんの女ネタ、盛り上がりますね~
拙宅のブログペットはしばらくの間、「妾?」とつぶやいていました^^;

今の感覚からすると妻妾同居って・・・と思ってしまいますが、「畜妾」なぞと言う言葉が使われる時代、女中さんの年齢からすると、多津さんの存命中からお妾だったとしてもおかしくないですよね・・・

「明治のお嬢さま」によると、正妻と妾の地位の差は圧倒的で、妾腹の子供は実母を召使とみなして呼び捨てだったそうですし、正妻からすればどうって事なかったのかも。

まあ、女中兼お妾というのも効率的で、ある意味、榎本さんらしい(笑)と思ったりもしました。

NoTitle
香音里
icewine5さん、こんばんは。

とても美味しいネタを提供していただいて、ありがとうございました。
「女中さんをお妾さんに」というのは勝さんの専売特許だと思っていましたが(笑)、榎本さんも怪シイとは…。
大きなおうちで女中さんを使ってる家としては、極めて普通だったのかも。

>妾腹の子供は実母を召使とみなして呼び捨てだったそうですし、
うーん、哀しいですね。正妻に子供がいなければ、妾の子でも跡継ぎとして育てられるのでしょうが、自分は「母」扱いではないんですもんね。それでも我が子の側にいられるだけで幸せだったのでしょうか。

できれば、「お妾さんとは名ばかりで困窮していた旧幕臣の縁者をお手伝いさんとしていた説」を信じたいですが、もし名実ともにお妾さんだったとしても、家庭はとても円満だったようですので、良しとしましょう(笑)






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