和魂凡才 犬山&名古屋旅行・その1 ~ 明治村①
和魂洋才の人・榎本武揚を主に、幕末関係の話や本の紹介をする凡才人のブログです
3月20、21日に犬山&名古屋へ行ってきました。今回は母と一緒です。

心配していた通り、家を出る直前まで雨が降っていました。
もう雨の旅行はすっかり慣れっこなんですが、家を出ようという頃に雨が上がり、その後はどんどん回復して、明治村へ着く頃には雲ひとつない晴天でした!いよいよ雨女返上か!?
いつも名古屋までは近鉄特急で行くのですが、今回は母が一緒だったのでひかり・こだまの早得切符で行きました。自由席しか乗れないのですが、今時こだまの自由席なんてガラガラですし、名古屋までならのぞみと10分ちょっとしか違いませんし、2,000円以上お得。

名古屋から名鉄で犬山へ。
途中駅でもないところで臨時停車。アナウンスによると
「ただいまの停車は、線路内につくし採りの人が入ったため」とのこと。

まぁ、のどかね~(^ー^)

って、違う違う!
電車が運転再開した時ふと窓の外を見たら、おばちゃんが白い袋の中に何かを入れてました。
つくし採ってて命落とすなよーーー!!
運転手さんも「つくし採ってる」ってすぐ解ったって事は…名鉄ではよくあることなのかしら?

名古屋から35分ほどで犬山駅へ。540円也。
駅から明治村まではバスが出ています。約20分。410円也。


明治村は明治時代(一部昭和初期のものも有り)の建造物を移築し、保存・管理している建物の博物館です。

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明治村の正門は第八高等学校の正門です。
今回写真少なめ・・・。

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三重県尋常師範学校・蔵持小学校校舎

建物の解説は明治村サイトをご覧ください。
建物の中には、当時の教室が再現されていました。
黒板、オルガン、木の机と椅子…。
明治と私の小学生時代の昭和では多少違いますが、二人並んだ木の机が懐かし~い。
小学校の机って、こんなに低かったけ・・・。
ま、自分が大きくなったってことなんでしょうが。
訪れた人はみんな椅子に座って懐かしがってました。

写真はありませんが、隣は近衛局本部付属舎で、「偉人と触れ合おう」というテーマで伊藤博文をメインに明治時代の政治家、文人のパネルと一緒に写真を撮ったり、ゲームで遊べるようになっていました。
そこに伊藤博文についての年表や解説が書かれてあったのですが、伊藤さんという人はとても変名の多い人で、幕末の俊輔は有名ですが、英国から帰国時には「デポナー」なんて名前を使っていたり、「花山春輔」、「花山春太郎」なんて可愛い名前も使っていたそうです。で、ちなみに相棒の井上聞多(馨)が「春山花輔」と名乗っていたらしい…単に「花」と「春」を入れ替えただけじゃあ…?


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こちらは重要文化財・聖ヨハネ教会堂です。
1階はレンガづくり、2階部分は木造の美しい教会で、1階は子供が遊べるようなスペース、2階は会堂でした。こじんまりとしていましたが、とても落ち着いた雰囲気の会堂でした。


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学習院長官舎です。
和洋混在の建物です。手前に洋館があり、こちらで公的な接客や実務を行っていたそうです。この写真では解りにくいですが奥に和風に建物があり、私的な生活は和風の建物でしていたそうです。
明治42年に建造。時の学習院長は第十代目、陸軍大将乃木希典。ってことで、大鳥さんはこの官舎は使っていません。


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明治村の敷地は広大です。(東京ドーム21個分とか)
1丁目から5丁目までのゾーンに分かれているのですが、1丁目のメインはここ西郷従道邸。
重要文化財。よくドラマの撮影などにも使われています。
テラスでお兄さんがお弁当食べてた・・・。
こんな、みんなが写真撮るような建物の真ん中で勇気あるわねっ。ていうか、本当は建物内での飲食は禁じられてます。

西郷従道さんはご存じ西郷隆盛の実弟で、数々の大臣職を歴任した人物です。
この洋館は西郷従道邸敷地内に迎賓・接客用として建てられたもので、先の習院長官舎と同じく、普段の生活は別の和風の本館でしていたそうです。

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晩餐会なども行われていたようです。
椅子は赤坂離宮で使われていたという菊の御紋入り。
ガイドさんの案内を聞きながら、大勢での見学だったので、写真がないのが残念ですが、他の調度品なんかもみんな凝っていて、おまる(チェインバーポット)まで素敵!?
リーフレットによると、福澤諭吉が渡欧した際、きれいなチェインバーポットを見て宝物を入れる容器だと思い、持ってきた大事な仏様を中に入れていたという話が残っているとか。
2階の暖炉は瀬戸焼で出来ていて、日本三景が描かれていました。
2階のバルコニーから見る庭も、きれいに整えられていました。
紅葉の季節に来ると、とてもきれいだそうです。

それにしても。この豪華な建物、明治10年築だそうですが…。
明治10年といえば、西南戦争の年ではないですか。
隆盛と従道、兄弟は全く別の道を生きる事になってしまったのですね。

続きます。


【2009/03/31 02:24】 | おでかけ・史跡めぐり
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